いつも「観音様」と共に

群馬県高崎市のシンボル、高崎白衣(びゃくえ)大観音。観音山の頂きから街を見守るようにして立つ姿は実に大らかで、正月は初詣、春はお花見、夏は万灯会、秋は紅葉といった四季折々の風物詩と共に、高崎市民より「観音様」と呼ばれて親しまれています。

群馬県の郷土かるた『上毛かるた』にも「白衣観音 慈悲の御手(みて)」と詠まれ、高崎市民のみならず群馬県民の誇りといえる存在です。そして私自身も高崎市出身であり、観音様に見守られながら成長してきました。私の神社仏閣巡礼の出発点でもあります。
春の高崎白衣大観音

桜に包まれる高崎白衣大観音。春は3000本のソメイヨシノが咲くお花見の名所として沢山の人々が訪れます

高崎観音山万灯会

夏の万灯会。観音山が1万本のロウソクの灯りで幻想的に彩られます

天高くそびえ立つ「東洋一の大観音」

井上保三郎翁の像

井上保三郎翁の像

高崎白衣大観音は1936年に高崎市出身の実業家、井上保三郎によって建立されました。

一代にて財を成し、高崎市の商工業の発展に尽力した井上翁は、さらなる高崎市の平和と繁栄を祈願して、厚く信奉していた観音菩薩の大立像建立を計画し、自身の経営する建設会社の技術の粋を結集して、それまでの主流であった座像に代わる立像の大仏建立を成功させました。鉄筋コンクリート造で、高さ41.8メートル、重さ5985トン、内部に20体の仏をまつる胎内めぐりのできる九層の多層階構造を持ち、「東洋一の大観音」として称えられました。

原型製作は群馬県伊勢崎市出身の鋳金工芸家、森村酉三。森村氏のアトリエから原型を自転車に積んで運んだのは当時、井上翁の下で修行していた若き日の田中角栄首相というエピソードも残っています。2000年には国の登録有形文化財に指定されました。
高崎白衣大観音胎内

高崎白衣大観音胎内。釈迦如来、阿弥陀如来、閻魔大王、弘法大師などの諸仏がまつられる巡拝空間

白衣観音は「観音の母」

白衣観音とは、大いなる慈悲の心をもって人々を救済してくださる観音菩薩の一尊です。その名の通り、全身に白い衣をまとっています。数ある観音菩薩の中から、なぜ白衣観音が大観音立像のモチーフとして選ばれたのでしょうか。

まずは構造上の理由から分析していくと、本邦初となる鉄筋コンクリート製の大観音立像を建立するにあたり、全身に衣をまとった姿で円柱形に近く、比較的凹凸の少ない白衣観音が採択されたのだと考えられます。

しかしそれだけではなく、こんな理由もあるのではないでしょうか。観音菩薩は基本的に性別はありませんが、高崎白衣大観音をお参りした方の多くが「とても美人の観音様ですね」と言うように、大変女性的な観音様です。白衣観音は別名「白衣観自在母」と呼ばれ、様々な観音菩薩たちを産んだ母ともいわれています。井上翁が白衣観音を選んだのも、その姿に慈愛に満ちた母の面影を見たのかもしれません。