散歩/散歩関連情報

落語「百川」の舞台、日本橋界隈を歩いてみた(3ページ目)

日本橋に明治の初年まであったという割烹料理の店「百川」。このお店とその周辺で繰り広げられる落語「百川」の世界を歩いてみた。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド

かつて百川があった場所

この神社の南側の道が浮世小路だ

とても小さなお社がある福徳神社

福徳神社のお社の横に説明板があって、ここに百川のことなどが書かれている。これを読むと百川があったのは、浮世小路の東端北側だったそうだ。ということは、先ほどの日本橋室町野村ビルのところか。さらに「しょーじ」という呼び方についての記述がある。この界隈に屋敷のあった町年寄喜多村家の出身地である加賀の方言でこう呼ばれるようになったそうだ。

落語のストーリーが動き出す。方言がきつい百兵衛さん、初めての奉公ということで百川にやってくる。さて、初仕事。百川の主人から、魚河岸のお客さんが二階の部屋へいるので、用を聞いてきてくれと言われる。ただし、河岸のお客さんは気が荒いから、言葉遣いなどには気をつけるようにと付け加えられ、百兵衛さんは二階の手の鳴っている部屋へ行く。
日本橋から江戸橋にかけての川沿いに鮮魚などを荷揚げする魚河岸があった

日本橋北東角にある「日本橋魚河岸発祥の地」という碑

かつて日本橋には魚河岸があった。日本橋北東角に「日本橋魚河岸発祥の地」という碑がある。関東大震災で築地に移るまでというから、ずいぶん長い間ここに魚河岸があったのだ。

そんな河岸のお客と百兵衛さんの掛け合いがおかしい。百兵衛さんのきつい方言が河岸の連中にはよくわかず、祭りの掛け合いにきた人だと勘違いされたり、慈姑(クワイ)の金団(キントン)を丸呑みさせられたりする。
  • 前のページへ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます