「成功者」であることがママ友の黒い嫉妬を招く?
子どもの糸が切れ、母はようやく気づいた
Aちゃんのお母さんに、一つだけ「欠陥」があるとしたら、それは彼女が母として「偏差値高い」ことだろう。学歴もキャリアも家庭も「成功者」、その背後にはそれを裏打ちするだけの血も滲むような葛藤や努力があるのだけれど、表面に見えるものしか見ない人たちにとっては、自分が手にしていない成功は常に「不当」で「私たちのように地道な努力もしないで」「ズルく」見え、ただひたすら単純に妬ましい。
「スーパーマザー」や「偏差値高いママ」の味方って誰なんだろう
日本の経済紙誌で、ワーキングマザーの現状を報道し読者に勇気や力を与えようとしてか、仕事も家庭も自分磨きにもマルチに頑張る、日本や世界の能力の高い母親を取材し掲載していることがある。そういう母親が実在する時代であることも事実だ。しかしそれを読んだ「こんな偏差値高いママを出されたって、こんなに頑張れるわけないじゃん」「逆にできない人を追いつめてるよね」「こんなに頑張ったって、そのうち破綻するよどうせ」という反応がものすごい早さで拡散していることも事実である。あれもこれもできる「人生の偏差値が高い」女性たち。仕事も家庭も、たぶん夫選びや親戚付き合いにも成功し、バランスよく、マルチタスク能力に長け、体も丈夫で働き者で、だからエネルギッシュでキラキラしている。もちろん、本人の能力だけでなく、家族や職場などの周囲にも恵まれている。それもまた嫉妬の対象だ。女性に選択肢が多いということは、多くの成功を手にしうる「スーパーマザー」を生むと同時に、これまでに広くは存在しなかった嫉妬や劣等感や屈折をも生む。
「(同じ)女なのに」。優秀な女性は、優秀な男性に比べて、老若男女全方位から複雑な視線を向けられ、ポジティブよりもネガティブな言葉をかけられる事が多いように思う。彼女たちの本当の味方って、誰なんだろう。白鳥の美しさを見て嫉妬する人びとに、その白鳥が水面下で必死に水を掻く姿はいつも伝わらない。往々にして一番傷つき人知れず泣くのは、その頑張っている「高偏差値母」のような気がしてならない。