愛する人が愛される道理って?
愛せない人は、愛されない…。
例えば、「自分が愛するよりも、相手から愛されたい」と言う人は、子供が「お金を払わなくても、おもちゃが欲しい」と言っているようなものです。
・お金がなければ、おもちゃは買えない。
(=自分が愛を持っていなければ、本当の愛は得られない)
・だったら、お金を増やすしかない。
(=自分の内側に、より愛を増やすしかない)
・「そんなの嫌だ!」と言ったところで、得られない。辛くても、働いて、お金を稼ぐしかない。
(=精神的な脱皮が辛くても、自分の心に愛を増やすしかない)
それは、好き、嫌いの話ではないはずです。
本物の愛ではないと、幸せになれない。
ときに、愛ではないものを相手に渡して、相手からも愛をもらった気になる人がいます。でもそれは、ニセモノのお札でフェイクのおもちゃを物々交換したようなもの。
(=相手に束縛や嫉妬などの自己愛を投げつけ、相手からも束縛され、それを愛だと勘違いしてしまう)
ただ、本物のおもちゃがどんなものかを知らない人は、それがニセモノであることに気付かない。
(=本当の愛を理解していない人は、その愛が自己愛であることすら気づかないし、束縛や嫉妬を愛情だと勘違いしてしまう)
でも、やはりニセモノのおもちゃは本物と違って、造りが悪くて、壊れやすくて、楽しめない。
(=自己愛同士のカップルは、結局、愛を与えるのではなく、奪い合ってしまう)
だから、やはり本物でないと、本当の幸せは得られない。
そういうことだと思うのです。