ルールを守ること自体が目的になっていないか?

ルールを疑ってみるかどうかが、強者と弱者の分かれ道になる

ルールを疑ってみるかどうかが、強者と弱者の分かれ道になる

たとえば、道を歩いていて目の前の信号が赤に変わりました。左右を見渡しても、車の影さえ見えません。ここで律儀に足を止めるのが、情弱(情報弱者)にありがちな傾向です(新興国などは慣習が違うので必ずしも当てはまりません)。

もちろんこれは誰でもわかりやすい例として使っているだけであって、交通ルールを無視しろというわけではありません。情弱から脱却するには、ルールの捉え方を変えよう、ということです。

道路交通法の第七条では、「歩行者は信号機に従わなければならない」と定められています。では、その道路交通法は何のためにあるかというと、その第一条に「危険を防止し」「交通の安全と円滑を図り」「交通に起因する障害の防止に資することを目的とする」とあります。

であれば、道路における安全が阻害されず、交通の秩序が乱されなければ、歩行者は赤信号でも渡ってはいけない、とはいえないと考えることができます。実際に赤信号で渡れということではなく、ルールの本質を考えることが大切だということです。

これを「赤信号を渡るのはルール違反だ」と思い込んでいる人にはできません。彼らは「そもそもなぜそのルールがあるのか」と、原点に立ち返って考えることはないので、機械的に「ルールは守るのが当然」と思い込み、ルールを守ることが目的になります。

ルールを疑うことで新しいブレイクスルーが生まれた

しかし、ルールは社会を保つ最大公約数で作られているので、現実にそぐわない場面も出てくるものです。技術の進化や時代の変化などによって昔のルールが現実にそぐわない、あるいはイノベーションの邪魔になることもあります。

実際、100年以上前に作られた法律(たとえば明治時代に制定された「決闘罪ニ関スル件」など)がそのままになっているものもあります。そこで、「そのルールの本質は何か?」「この場面ではルールのほうがおかしいんじゃないか?」という発想をしてみることです。

典型的なのは、郵便事業のルールを変えたヤマト運輸です。

ルールそのものを疑い、何が本当に人の役に立つのかを考え、「荷物を運ぶのは郵便局しかやってはいけない」という法律はむしろ国民のメリットとはならないという結論に達しました。そして、後年には法律をも変えてしまうブレイクスルーが生まれてきたのです。単純に「法律は守らなきゃいけない」と捉えている人には、宅急便事業というアイデアは永遠に出てこないでしょう。

「法の裏をかく」というとダークな響きがありますが、だからこそ発泡酒や第三のビールが生まれ、一大市場になったのです。そしてそのおかげで、私たちは安い値段でビール(に似たお酒)を飲むことができます。

法律の抜け道を探すことを「けしからん」と捉えている人には、発泡酒も第三のビールも思いつくことはないでしょう。ブレイクスルーは、ルールを破るブレイカーから生まれてくることもあるのです。