名前の希望と本人の希望はよく混同される

 親が子供にあまり思いを込めると正反対の結果になるなら、名づけの際には呼び名や響きを重要視したほうがよく、漢字の持つ意味はあまり考慮しない方がいいのでしょうか?

 名づけで最も大切なことは、後で後悔をせず、末永く納得できる名づけをすることです。ですから「こんな響きにしたい」という名前自体の希望があり、それを素直に表現したなら、本当に気に入った名前ですから、親は後悔をすることはないはずです。

しかし実際は名づけの際、名前自体のことから離れた話をされる方は意外に多いのです。命名相談でも「名前についての希望は何かありますか?」とお聞きますと、「芯のしっかりした子になってほしい」とか、「人に好かれるようになってほしい」などとおっしゃる方は多いのです。このように「名前の希望」と「本人への希望」は実によく混同されます。その場合は、「それは本人へのご希望ですよね。名前についてのご希望は何かありますか?」とまず話の整理から始める必要があるのです。その上世間一般では「こういう人間になってほしいからこういう名前にしました」と説明するとほめられることが多く、名づけはそうやるものだと思われやすい、ということもあります。

確かに本人への期待や要望を名前で表現するのも、名づけの一種ではあります。ですからやるのはご自由なのですが、ただそれはリスクを伴う名づけではあるのです。もちろん本人への希望は希望としてもっていていいのですが、そのことと名づけを繋げますと、名前そのものに対する好み、希望というものを忘れやすくなります。

辞典の意味がどうとか、本人にこうなってほしい(占いも含めて)と考えるほど理屈にかたむき、正直な名前の好みから離れやすくなります。そして理屈だけに走って自分の本音が見えなくなったとき、本人への期待、辞典の意味、運勢占いと全く違う結果になることがよくおきます。そうした意味では、音(響き)の好みとか、文字の見た目の印象など、名前そのものに対する感性を重視したほうが好みが正直に出て、本音にそった後悔しない名づけができます。名づけは名前そのものの好みからスタートしたほうが安全ではあります。

思いをこめるとなぜ逆になりやすいのか?

名づけの際、「まあ、まじめに生きてさえくれれば…」という軽い気持ちで名前を作るなら問題ありません。しかしたとえば、「人間、努力しないようではダメだ」とか、「勉強しない子になっては困る」などと強いこだわりをもって、努(つとむ)だの、勉(つとむ)だのという名前をつけたとしても、それは言い替えれば親の抱えている心配、不安を隠すため、名前を使ってまじないをしていることになります。名づけにまじないは禁物で、不安感自体が消えるわけではありませんから、覆い隠すことによってかえってその心配、不安のほうが現実化してしまうことが多いのです。つまり努や勉の字を使った名前でも、怠惰な人、無気力な人というのは出るのです。

その場合、親自身も本当にその名前自体が気に入ってつけたのではありませんから、名前と逆の結果が出たなら、その名前に納得できなくなるはずです。つまり後悔を残す名づけになります。

もちろん「努」や「勉」という名前自体に、良いとか悪いとかいう線引きはありません。名前で本人の生き方が決まったりはしませんし、同じ名前でも違う生き方になる人はたくさんいます。それは親がどんな感覚で名づけをしているかによるのです。もし不安感を抱えながら名前をつけたなら、名前ではなく、名づけそのものに問題があるわけです。どんな「名前」かより、どんな「名づけ」かが重要だ、と常々申しあげているのはそうした意味からです。
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