森麻季さんが思う、日本歌曲の美しさの秘密とは?
大:今回歌う曲目について教えてください。森:直接的に、亡くなった方を思う詩の歌とかではないのですけれど、想起でき、それでも私たちは今平和でいられるというありがたさ・感謝に思いを寄せて、というリサイタルで、2部構成になっています。
前半では日本の歌曲を歌います。911は自分にとって大きな出来事でしたけれど、今では、私の中でも日本中としても、東日本大震災はとても大きいので、美しい日本の情景や、日本のふるさとの美しさ・すばらしさだったりを歌う曲を予定しています。みんなの心がほっとできるような日本をテーマに歌いたいです。
大変なことはたくさんありますが、こうして今あることに感謝したいし、それぞれ皆さんの日本への思いがあると思うので、思い巡りながら歌えたらと思っています。
2部では生誕200年のヴェルディの作品『椿姫』を取り上げさせていただきます。今回バリトンの堀内康雄さんが参加してくださいます。彼は本当に素晴らしい演奏家です。
食べ物で言うと、1部は和食の美しい彩りのもの、2部はガッとしたメイン料理と。そんな感じでしょうか。
大:面白いプログラムですね! まず、前半ですが、こんなにたくさん日本の歌を歌われたことは今までにあるのでしょうか?
森:一つのコンサートの中でこれだけたくさん取り上げたことはないですね。いつもいろいろな作品を取り混ぜながら歌うことが多いので。2部も初めての試みですが。
大:日本の歌曲を歌うときって他の国の歌曲を歌うのと違うのですか?
森:日本の歌曲の美しさは、繊細さが際立っていますね。例えば花でも、外国の花のイメージは、赤で大きくてバーッと咲いている。ところが日本の場合は、フォーカスがもっと小さくて、花びらのうっすらとした質感だとか、そこに朝露が乗っているとか。そういうのを表現するような感じだと私の中で思っています。和菓子もそうですよね? 本当に美しい。形も色もきれいですね。そういうきめ細やかな美しさが日本歌曲の中にもありますね。
迫力で、というのではなくて、とても繊細に本当に細かいところまで美しいディテールがある。歌うときには、そういった日本の美しさを出せるようにと思って歌います。そういう意味では『椿姫』とは対照的な感じですけれど(笑)。
大:笑。日本歌曲の美しさはどこから来るのでしょう?
森:音の作りがまずとってもシンプルなんですね。そして日本語自体が優しい言葉なのですよ。優しい発音というか。激しい言葉ではないと思うんですよね。よく外国の方が「日本語の歌は発音自体が歌うようできれいなんだね」と言ってくださいます。子音も優しいですね。
大:なるほど! 言葉自体と音楽の持つ雰囲気が大きいのですね。
森:そうですね。また題材も自然の情景が多いですよね。ふるさとの美しさだったり、山が夕焼けに染まっていくとか、赤とんぼが止まっているとかね。
私たち日本人は、そうした歌を聞くと、その情景が自然と浮かんでくる。「あぁ、ふるさとってなんかしみじみするなぁ」と思うだけでよくて、だからなんだっ、ていう追求はしませんよね? ですから、外国の方からすれば「何が言いたいの?」という少しじれったい感じかもしれないのですけれど、情景をやんわり歌うことで日本人のわびさびみたいなものを出すのが日本歌曲なのかなぁ、と思います。
大:確かに日本歌曲に激情みたいなのはあまりないですね。
森:ですよね。だからいろいろな感情をあてられるというか。例えば『浜辺の歌』でも、愛しい人と浜辺を歩いたなという思い出を歌っているのかな、と捉えられるし、思っている人も一緒に見ている月だな、とか、あの人は星にいるな、とか、そういう風にいろいろと捉えられるんです。
すごく大きな含みを持って歌えるのが日本歌曲なのかなと思います。なので年を重ねるごとに、いろいろな味を足していけます。若い時はそこまで掘り下げられないですけれど、人生経験が増えていくと、いろいろなことがあったな、と、歌もだんだん深まっていくように思います。もちろん、他の歌曲でも深められるのですが、特に表現しやすいと言いますか。
プチオペラのような、『椿姫』を堪能する2部
大:日本歌曲の美しさの秘密がよく分かりました。公演が楽しみですね! 2部は『椿姫』一本ですか?森:はい、『椿姫』をたっぷりと(笑)。堀内さん(ジェルモン)と歌うシーンがちょうど良い長さなので、そのシーンを中心にして、それぞれに一曲ずつアリアを歌うという構成です。
大:『椿姫』について思うところを教えてください。
森:『椿姫』は、ソプラノの一番の大曲だと思っています。技巧的にもすごく難しい上、一人舞台が多いです。長丁場でずっと歌ってる、ほぼ一人で歌っている。
そして、そこにはヴィオレッタの一番良いときから、彼女が亡くなっていくときまでの人生が綴られていますが、解釈はいろいろですね。「椿姫は純粋な人だ」といえば一人の人を思って死ぬまでという意味で純粋ですし、でも、高級娼婦という職業はどうなの?と良くない女性のように解釈されることもあります。
1幕のアリアで「自分がずっと思っていた人と本当に結婚するってこういうことなのね!」と若い乙女がみんな夢見る、一人の人に添い遂げるという歌詞があり、彼女は21、22歳くらいの設定ですので、私としては、ヴィオレッタは本当に純粋な人で、病にも倒れてしまうくらい純粋な愛だった、と思っていつも演じています。
大:なるほど。良さそうだな~、楽しみですね。
森:ありがとうございます(笑)。衣装を着けて舞台でやるわけではないですから限界がありますけれど、演奏会形式で、かえって歌だけで大変ドラマティックに聴かせるすごい場面で、加えて、堀内さんをお迎えできて、とにかくとても楽しみです。彼は最高なジェルモンだと思います。
大:ヴェルディについてはどう思っていますか?
森:彼の作品は、どれも非常に高い技術が必要です。ごまかしが効きません。オーケストレーションは厚いですし、様式感もすごくあって、熟練の技がいるオペラだと思っています。たくさんのオペラを経験して、やっとヴェルディが歌える、という。最終的な目的地と言ったら大げさですけれど、それが歌えるようになったら、立派なオペラ歌手だな、というような。そのぐらいの重みのある作曲家ですね。題材もシェークスピア作だったり。荘厳で、音楽も本当に素敵。オペラの中のオペラという気がして、歌うときには、いつも気が引き締まります。下手すると本当に歌えなくなっちゃうんですよね。
大:歌えなくなるってどういうことですか?
森:緊張感をもって、いろいろな技術をうまくピタっと合わせないと、振り回されてしまうというか。音楽が盛り上がるところで、自分もそれ以上に歌いすぎてしまったら、最後まで声がもたないとか。音をきちっと歌うことだけでも本当に大変なんです。
大:森さんでもそんなふうに思われるのですね。
森:もちろんです。すごく難しいと思いますよ。何気なく聴こえるものが意外と難しいことは多いです。聴いていて「楽々と歌っているなぁ」と思える歌手はかなりすごいと思います。普通は「大変そうだな」という感じに聴こえてしまいます。