DDT8・18両国でオカダと対戦した飯伏幸太
馬場、猪木も知らない新しいファン層を開拓
この夏、ある意味で日本プロレス界の主役になったのは飯伏幸太であり、飯伏が所属する団体DDTでした。飯伏は新日本プロレスの真夏の最強決定戦G1クライマックスに初出場、優勝戦進出こそ果たせなかったものの、優勝した内藤哲也には公式リーグ戦で勝利。8月17日&18日のホームグラウンドのDDT両国国技館2連戦では、初日はゲイ・レスラーの男色ディーノ、2日目は新日本のIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカとメインで一騎打ちの大活躍を見せました。このDDTの興行は17日=8500人(超満員)、18日=9000人(超満員札止め)を動員。今、両国国技館を2日連続で満員にできるのは老舗の新日本とDDTだけでしょう。でも「飯伏って誰?」「DDTって何?」と首を傾げるオールドファンも少なくないと思います。そこで今回は“文科系プロレス”というジャンルを確立したDDTにスポットを当ててみます。
DDT(ドラマティック・ドリーム・チーム)が誕生したのは16年前の1997年。昔のプロレス団体はジャイアント馬場の全日本か、アントニオ猪木の新日本から枝分かれして生まれるのが普通でしたが、DDTを立ち上げた選手兼社長の高木三四郎は屋台村プロレスの出身。つまりDDTは馬場の遺伝子も猪木の遺伝子も持たない団体なのです。無名の選手が創った団体ですから、最初はプロレス・マスコミも相手にしませんし、プロレスファンも興味を示しません。しかし大学時代に芝浦の有名ディスコ『ジュリアナ東京』などでイベントを仕掛けて成功させている高木は、渋谷のクラブなどで興行を開催してコギャルたちを動員するなどして「馬場や猪木は知らないけど、三四郎とDDTは知っている」というまったく新しいファン層を開拓していったのです。
いつしかDDTは普通のプロレスに飽きて新たな刺激を求めるマニアックなプロレスファンも取り込み、一般のプロレスファンにも浸透していきました。知名度のある選手がいないDDTがお客さんに集めることに成功したのは「あの団体は、観に行ったら絶対に面白いことがある」と思わせるための戦略を練り上げたことです。そこから生まれたのが“文化系プロレス”でした。従来のプロレスは当たり前のことですが、勝負が重視されました。しかしDDTはお笑いもあれば、ほっこりするドラマもあるというようなバラエティー色の強いプロレスを追求したのです。観客論に基づいた徹底的な作り込みと時代の一歩先を行く斬新なセンス。それが“文化系プロレス”です。そして高木はとにかく知恵を絞ってプロレスの持つ可能性を探り、面白いと思うことには何でもトライしました。
たとえば、プロレス界では「一流レスラーはホウキ相手でも試合ができる」と言われますが、DDTはプロレスラー対人形という試合を組んで本当にそれを実践しました。飯伏幸太とヨシヒコなる人形のシングルマッチは大きな話題になり、後楽園ホールを超満員にしました。
こうしたことを成立させるのは、もちろん選手の力量が重要です。飯伏にプロレスセンス的感性があったからこそプロレスラー対人形は成立したのです。04年にデビューした飯伏はキックボクシングの大会で優勝する格闘センスを持ち、小中学生時代にプロレスごっこであらゆる空中殺法をマスターした運動神経抜群の天才で、どこの団体に行ってもスターになれたはずですが「この団体だったら、すぐにデビューできそうだから」とDDTに入門したちょっと変わった天然キャラの若者です。