GTカーの時代へ原点回帰

90年代半ば、ルマンはGTカーを中心としたプライベートチームのためのレースへとシフトしていく。プロトタイプカー時代の印象が強烈であっただけに注目度は今ひとつになってしまったが、自動車メーカーが去り、ルマン24時間レースは「偉大なる草レース」として原点回帰を図った。

1994年はその過渡期ともいえる年。LMP1/C90というクラスが設定され、プロトタイプカーの出場も認められた。このレースで忘れてはいけないマシンがある。日本のSARDが走らせた「トヨタ94CV」である。この車両は94年のルマン24時間レースで快走。91年のマツダに続く日本車の優勝が期待されたが、1時間ちょっとを残したところでシフトリンケージにトラブルが発生し、後退。優勝を逃してしまった。

トヨタ94CV

トヨタ94CV


ルマンミュージアムにはマツダ787Bと並んでSARDの「トヨタ94CV」が展示されている。SARDは前ページでも述べた通り、73年に日本チームとして初めてルマンに挑戦した「シグマオートモーティブ」が前身。90年~92年はトヨタのグループCカーで参戦。グループCのレースシリーズが消滅した93年以降もCカーでルマンに参戦を続けていた。総合優勝目前での悲運。それでも2位表彰台にあがったSARDチームのマシンが長きにわたって展示されているのは、規定変更による混乱の時代でも出場を続けた情熱に敬意が払われている証拠と言える。

その94年のレースを制したのはポルシェ962Cをベースにした「ダウアー962ルマン・ポルシェ」。このマシンはポルシェ962Cそのままなのであるが、グランドツーリングカーのGT1クラスにエントリーしている。本来はレース用プロトタイプカーである962Cのロードゴーイングバージョンを製作し、ナンバーを取得したことから、GTカーとして出場することが可能になった。こういう広義的なGTの解釈、裏技の行使はメーカーをルマンへ呼び戻すキッカケにもなる。
ダウアー962

ダウアー962



モンスターGTの時代

95年のルマンはF1コンストラクターのマクラーレンがゴードン・マーレイ設計のもとBMWエンジンを搭載して作った「マクラーレンF1GTR」が優勝(ドライバーの一人は関谷正徳)。オープントップのレーシングカーWSCクラスのマシンがレースをリードするも雨で混乱したレースで数多く上位に名を連ねたのはマクラーレンF1GTRだった。そのGT1クラスにはニッサンがスカイラインGT-Rで、ホンダがNSXでワークス参戦。さらにSARDがトヨタ・スープラとオリジナルのMC8R(MR2がベース)で参戦するなど日本車も出走したが、マクラーレンのスピードには叶わなかった。
マクラーレンF1GTR

マクラーレンF1GTR


BMWの息のかかったマクラーレンがGT1クラスで活躍したことに黙っていなかったのがポルシェ。1996年にはマクラーレン包囲網を築くべく、ミッドシップのプレミアムGTカー「ポルシェ911GT1」を投入し、ワークス復帰する。レース結果としてはオープントップのレーシングカーであるWSCクラスの「TWRポルシェWSC95」に総合優勝を奪われるが、総合2位となり、GT1クラスでマクラーレンを退けてクラス優勝した。
ポルシェ911 GT1

ポルシェ911 GT1-98


97年になるとFIA-GT選手権が始まり、GTという名のモンスタープロトタイプGTカーによる競争が激化。ニッサンはTWRと組んで「R390GT1」を投入。98年にはメルセデスが「メルセデスベンツCLK-LM」を投入。もはやマクラーレンF1GTRでは勝てなくなったBMWはオープンプロトタイプカーの「BMW V12 LM」をLMP1で投入。さらにトヨタはGT1クラスに「トヨタGT-One(TS-020)」を投入。総合優勝をかけ、実質的なプロトタイプカーでポルシェ、ニッサン、メルセデス、BMW、トヨタが争った。ポルシェは本来911ベースで作られた「911 GT1」を完全なプロトタイプカーといえる「911 GT1-98」へと進化させ、超過激なワークス対決に挑んだ。そして、レースではポルシェ911 GT1-98がトヨタGT-Oneとトップ争いを演じるも、トヨタの不運にも助けられてポルシェは1-2フィニッシュで優勝。ワークスポルシェとしては11年ぶりの勝利だった。ポルシェはこの年の優勝をもってルマンのワークス活動から撤退した。

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