日本球界ナンバー1の田中から決めた一発で日米通算2000本安打達成
「5個あるチャンピオンリングを10個にしたい。チームが優勝することが次の目標」という井口は、2000安打を通過点にして、ロッテでの2度目の優勝をめざす
区切りの1本を豪快な一発で決めた。しかも、相手は日本球界ナンバー1の田中。プロ初打席初安打と同じくらい忘れられないという一打は、勝ち越しの19号ソロとなって左中間スタンドで跳ねた。
「まさかの本塁打に自分でもびっくりしている。今季一番のスイング。この数字を目標にしてきたので、最高の形で決められて良かった」
四回の左前打で王手をかけて迎えた六回の第3打席。田中の初球はど真ん中の147キロ、ストレート。「何も考えずにバットを振れた」結果が金字塔に結び付いたが、「まさか」というのは正直な思いだった。相手が田中ということで「今日はないな」と家族を仙台に呼んでいなかった。それが2安打で大台到達。家族にはすまないことをしてしまったが、喜びは隠し切れない。
井口の転機はプロ入り5年目にやって来た。青学大時代の96年にアトランタ五輪で銀メダルを獲得。東都大学リーグの本塁打王は鳴り物入りでダイエー(現ソフトバンク)に入団したが、4年間は打撃不振だった。もがく井口に当時の島田誠コーチから同期の松中や柴原の活躍を引き合いに出し、「悔しくないか。何でもいいからタイトルを獲ってみろ」と奮起を促された。この時、井口が目指したのは盗塁王だった。「首位打者や本塁打は難しくても、盗塁なら1カ月で3、4個成功させればタイトルに手が届く」との判断。まずは投手の癖を徹底的に分析した。それぞれの投手の特徴をノートに細かく書き込み、配球傾向も調べ上げた。投手を研究したことが、打席でのタイミングの取り方や読みに生きてきた。「だんだん次に何のタマが来るか見えてきた」という。2001年に44盗塁で初タイトルを獲得、同時に30本塁打、97打点もマークした。当時史上3人目の30本塁打&40盗塁を達成し、井口はスター選手の仲間入りを果たしたのである。
2004年オフに自由契約となりメジャーリーグ挑戦を表明し、ホワイトソックスに移籍した。移籍1年目の2005年にいきなり世界一を経験。2008年にはフィリーズで世界一となった。メジャーでの4年間を経て、2009年にロッテに加入すると2010年には日本一に輝いた。ダイエー時代の2回を入れると、実に5回の優勝経験がある。「5個あるチャンピオンリングを10個にしたい。チームが優勝することが次の目標」という井口は、2000安打を通過点にして、ロッテでの2度目の優勝をめざす。