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激変・新日本の真夏の最強決定戦G1を体感しよう!

今、プロレス人気復興の先頭に立っているのが新日本プロレス。アントニオ猪木が設立した老舗団体ですが、今ではまるで別の団体のように様変わりしています。しかし、変わらない伝統と価値観があります。それは真夏の最強決定戦『G1クライマックス』。新日本の歴史を知ることで今年のG1はさらに楽しめるでしょう。

小佐野 景浩

執筆者:小佐野 景浩

プロレスガイド

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昨年G1覇者のオカダ・カズチカ

06年から一気に世代交代! 「猪木の新日本」は遠い昔

現在、老舗団体として日本プロレス界の復興の先頭に立っているのは新日本プロレスです。新日本は1972年3月にアントニオ猪木が「実力主義のストロングスタイル」をスローガンに旗揚げ。80年代にはタイガーマスク、藤波辰爾、長州力らが「金曜夜8時のプロレス」と言われたゴールデンタイム放映時代の全盛期を支え、90年代には武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士の時代を迎えました。しかし、それはすでに遠い昔のこと。いずれのレスラーも今は新日本を去り、歴史上の人物になってしまったのです。

新日本の大きな転換期は05年11月に猪木が保有していた株式51.5%を売却してゲームソフトを開発・販売する株式会社ユークスの子会社になったことです。90年代末から新日本はオーナーである猪木の強権発動による格闘技路線によって迷走していましたが、ユークスの子会社になるということは猪木体制からの脱却を意味しました。翌06年の契約更改ではユークス新体制に反発するベテラン選手やフロントの人間が多く離脱しました。それは大きな痛みを伴うものではありましたが、結果的にリング上を含めた会社の新陳代謝、世代交代につながり、同年7月には棚橋弘至というキャリア7年弱、29歳の若きIWGP王者が誕生しました。

ゲームソフトを手掛けるユークスとしては若者に支持されるかっこいい選手の存在が絶対条件。棚橋エース路線のユークス新体制は昭和のストロングスタイルに縛られることなく若いファンの獲得を模索。「ストロングスタイルは単なる言葉であり、新日本の呪い」とした棚橋は猪木色を払拭すべくリング上で愛を叫びましたが、そのライバルとして格闘技とプロレスを両立できる選手として育てられた中邑真輔がいたことも見逃せません。中邑は猪木色を払拭するのではなく、「過去と闘って何が悪い!」と、かつての猪木のストロングスタイルとの勝負を打ち出しました。このプロレス観が違う棚橋と中邑のライバル闘争が、90年代末から落ち込んでいた新日本の人気を回復させたと言っていいでしょう。

そして昨年1月31日、新日本はまたまたターニング・ポイントを迎えました。トレーディングカードゲームの開発・販売を手掛ける株式会社ブシロードが新日本の株式100%をユークスから買収。新日本はユークスの子会社からブシロードの子会社に移行したのです。

ブシロードは自社のテレビCMに棚橋や中邑など新日本の選手を起用、昨年のG1ではJR山手線や東京メトロの各駅で広告戦略を展開するなど、世間に積極的に発信。またブシロード新体制からは“レインメーカー”オカダ・カズチカという25歳の新たなエースが生まれました。新時代のエースと言われた棚橋や中邑が、今やそれより若い世代に押される時代に突入したのです。
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