新生・全日本プロレスのメンバー
あの分裂から13年、歴史は繰り返す
去る6月30日の両国国技館大会をもって武藤敬司体制の全日本プロレスが終焉を迎えました。武藤・全日本は02年9月30日、ジャイアント馬場夫人の馬場元子オーナーから社長を託されて発進。馬場・全日本から武藤・全日本への移行は歴史的出来事でした。それから11年、思わぬ事態に見舞われたのです。武藤・全日本が誕生するまでには紆余曲折がありました。99年1月31日に創始者・馬場が死去、同年5月に三沢光晴が社長に就任するも、歴史と伝統を重んじる元子オーナーとの間に軋轢が生じ、三沢はほとんどの選手&スタッフを連れて独立して新団体プロレスリング・ノアを旗揚げ。全日本に残留したのは川田利明、渕正信、ハワイ在住の太陽ケアの3選手だけという分裂騒動になったのです。そして「歴史は繰り返す」の古代ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスの言葉のように今度は時を経て武藤・全日本に分裂騒動が起こりました。
武藤・全日本は11年6月に内田雅之取締役が社長に昇格、武藤は会長に就任という形で継続され、経営を安定させるために昨年11月にスピートパートナーズ社の白石伸生社長に株を100%売却。しかし今年2月からの白石オーナー、武藤会長、内田社長という新体制の中で白石オーナーと武藤&内田に埋めがたい方向性の違いが生まてしまいました。武藤&内田は新たなスポンサーを見つけての株の買い戻しを模索しましたが、結局は物別れに。内田社長は5月27日に解任され、武藤は5月31日付で辞任届を提出。6月1日に白石オーナーが社長に就任したのです。
退団した武藤が新団体設立を示唆する一方で、白石社長は「全日本に残る選手は6月いっぱいで契約を解除して、7月1日から新しい契約を結びます」と発言。白石新社長派と見られていたKENSO以外は武藤と行動を共にして13年前の分裂騒動のような状況になるのではという声が多い中、6月シリーズ開幕前に全日本残留を明確にしたのが三冠ヘビー級王者の諏訪魔でした。
諏訪魔は04年10月にデビューしており、生まれも育ちも武藤・全日本ですが、少年時代から全日本が好きで柔道とレスリングを始めた男。武藤&内田への感謝を口にした時には思わず目を潤ませましたが、「ひとりになっても全日本の看板を守ります!」と不退転の決意を語りました。
経営陣の確執によって生じた分裂騒動だけに残ることを決めた諏訪魔も、去る選手たちも6月16日~30日のシリーズでは「武藤・全日本の集大成を見せよう。進む道は違っても、お互いに成長して、いつの日か同じリングで会おう!」と心をひとつにして闘っていました。