親世代の「グローバル志向」はコンプレックスの裏返し
逆説的な話なのだが、親が帰国子女である場合、自分の子どもに幼いうちから英語を強要しない親が多い。脳の中に多言語を同じレベルで獲得し維持することのメリットとデメリットを体験的に知っているがゆえに、「日本人として育てるから、まずは日本語を教えたい」と、まるドメの日本人(私とか)がびっくりするくらいの美しく正確な日本語を教えていたりする。しかしそれで「ほらやっぱり英語教育なんて必要ないんだ、日本語バンザイ」と鬼の首を取ったように喜ぶのは大きな勘違いだ。彼らはその傍らで、子どもが日常的にしっかりした英語を目にし耳にする環境も整えている。親が英語も日本語も操るのだから、暮らしの中に両言語があるのはあたりまえ。そして、多言語を当然と感じる意識と、音を聞き取る耳を育てるのだ。
それを見ると、私のような、受験英語の上にどうにか留学経験などを積み重ねて英語獲得に必死になってきた「まるドメ出身者」は思うのだ。あぁ、私にはそんな環境はなかった、と。そんな環境があったならもう少し違っていたかしら、と。だから、「英語がんばりなさい」「留学しなさい」と子どもの尻を叩く、自分は英語を喋れもしなければ海外に住んだこともない親や企業人たちを見ると、それはコンプレックスの裏返しなのだなと、少し気持ちがわかる。
子世代の「内向き志向」は豊かさと「親のカーリング子育て」ゆえ
でも、現代は留学が不人気なのだそうだ。かつては巨大な学内日本人コミュニティーさえあったハーバードの日本人留学生が減った、などと騒がれもした。国内大学の短期留学システムや交換留学の利用者が減り、枠が埋まりにくい。大人たちは、学生たちはすっかり内向き志向だと揶揄した。でも、学生たちからすれば、内向きになるのもやむを得ないのだ。そもそも日本国内で世界中のモノも情報も(日本人が好きそうな特殊なフィルターがかかってはいるが)たくさん手に入るし、治安はいいしコンビニは24時間営業だし、店員はたいてい愛想がよくて電車は時間通りに来るし、そこそこ満ち足りているのである。
満ち足りているのだから、わざわざ居心地のいい場所を出て苦労しにいく必要を感じない。既に日本の学生生活が、就職危機で充分に苦労満載なのだから、留学なんてしているヒマも余裕もない。「留学なんて、余裕ある人のやることでしょ、オレ(あたし)そんな余裕も勇気もないから」。それが学生側の言い分である。
豊かな時代に子育てをしてきた親が、子どもが小さいうちから先回りして危険や障害を取り除き、歩むべきコースをきっちり整えた「カーリング子育て」をしてきたことも原因だ。いつもゴミ一つなく綺麗に整備された遊歩道を歩んできた子どもが、わざわざスリや強盗が虎視眈々と狙っているようなストリート(←先入観いっぱいのイメージ)を歩きたいと思うなら、それはかなり奇特な例である。