5月7日 ミラノ
偶然にも朝食会場でステファン・ヴィンケルマンCEOに会った。おめでとう! と声をかけると、「きょう、正に50年前のこの日に、フェルッチョは自動車会社を登記したんだよ」、と教えてくれた。気分がいっそう盛り上がる。ピレリ財団のカンファレンスルームで、まずはツアーのプレス発表。ピレリとランボルギーニの歴史的なつながりが、最新モデルのパフォーマンスを支えている。
古城で有名なミラノのカステッロ広場がグランドツアーのスタート地点だ。オーナーのクルマは前夜のうちに運び込まれており、午後から受付がはじまった。
ボクが受け取ったゼッケンは223番。車両は本社が用意した、白いガヤルドLP550-2、それも3ペダルマニュアルギアボックス仕様である。ペアを組むのはシンガポールのモータージャーナリストで旧知のアンディ・ラム。運転が上手いヤツだから、ひと安心。
この日はゼッケンと参加グッズを受け取って、終わり。夜はモダンアートの拠点“ハンガービコッカ”でウェルカムパーティ。
5月8日 ミラノ~フォルテ・ディ・マルミ 345km
スタートは10時。ゼッケン001番のアヴェンタドールロードスターには、CEOのステファン・ヴィンケルマンと技術部門の責任者マウリツィオ・レジアーニが乗り込んでいる。002番以降の若い番号には、400GTやミウラといった60年代の名車たちがズラリ。223番のスタートは11時半前だから、往年の名車たちのスタートシーンを存分に楽しめた。最も人気を集めていたのは、ひときわ獰猛なエグゾーストサウンドをまき散らしていた、イオタ・クローンだ。
予定よりやや遅れて、ボクたちもスタート。大観衆のなか、車名と名前を読み上げられて送り出される気分は、何とも晴れがましい。もうこれだけで、来た甲斐があった。
ミラノ市内をイタリア国家警察(POLIZIA)の白バイならぬ青バイの先導でかけ抜けた。交通ルールなんて、ほぼ無視。ランナバウトの進入や一旦停止、赤信号でためらうと、逆に“行け! 行け! ”と警察からけしかけられる始末だ。
警察ナビ、分かりづらい市内だけかと思いきや、高速に入っても続いた! しかも、がんがん飛ばす。高速道路では優に200km/h以上、カントリーロードでも150km/h近くになること、しばしば。ちょっと渋滞しようものなら、青バイの誘導でセンターライン上を走り脱出、いやはや、これは気分がいい。こんな調子で、全行程、ポリスの速い道案内付きだった。
トレッビアリバーヴァレーの近く、ボッビオという村でランチ休憩。実は、この村、ランボルギーニのデザイン責任者であるフェリッポ・ペッリーニの生まれ故郷である。最近、日本人にも人気の観光地。
この日は、ちょっとしたトラブルもあったらしい。
インド人チームが道に迷って、猛スピード(一説によれば285km/h)で高速道路を飛ばしていたら、ルート外だったので逮捕されたり(夜に釈放、クルマは翌週まで没収)、愛しのLP400がフィアットに踏みつけられたり……。
夕刻。海沿いの高級リゾート、フォルテ・ディ・マルミのヴィラ、アウグストス&リゾートに到着した。その昔、フィアットのアニエッリ家が所有していた別荘である。
その夜は、ビーチでアペリティーボとアンティパストを楽しみ、海沿いの有名なシーフードリストランテ、「カンパニーナ・フランチェスキ」でディナーパーティ。