"中国人スター"としての苦しみ
李香蘭は太平洋戦争が始まってからも、相変わらず日中を股にかけて活躍していたが、戦争の激化とともにそのアイデンティーに悩み苦しむようになる。たとえばこんなことがあった。1943年、映画『萬世流芳』が中国史上まれに見る大ヒットとなったことをうけ、北京で記者会見することが決まった彼女は、これを機会に自分が日本人であることを告白しようと考えていたが、身近な中国人に
「今この苦しい時に、あなたが日本人であることを告白したら、一般民衆が落胆してしまう。」
と説得され断念。
中国人スターとしてのぞんだ記者会見においても、中国人記者から
「あなたが『白蘭の歌』や『支那の夜』など一連の日本映画に出演した真意を伺いたいのです。あの映画は中国を理解していないどころか、侮辱してます。」
「中国人としての誇りをどこに捨てたのですか。」
などと詰問に遭い、謝罪を強いられるという経験をしている。
『夜来香』の香りもやがて消える
1944年、李香蘭は上海のレコード会社から、黎錦光の作詞作曲による『夜来香(イェライシャン)』をリリース。日本語バージョンの発売は戦後を待つことになるが、ひとまず中国全土で大ヒットをおさめた。曲調は中国的なメロディ―ラインをアクセントにしながらも、近代的な西洋ポップスが根本においたモダンなもの。長調のAメロから短調のサビに転調するという構成は、現代まで続くヒット曲の方程式だ。物語性のあるアレンジは、透明感のあるメランコリックなボーカルの魅力を最大限に引き出している。李香蘭の膨大な持ち歌の中においても一、二を争う名曲だと言えるだろう。
この頃、上海に音楽活動の拠点を移していた服部良一もこの曲をいたく気に入り、シンフォニックジャズにアレンジした『夜来香幻想曲(イェライシャン・ラプソディー)』を発表。1945年6月には上海の大光明大戯院で『夜来香幻想曲』を冠した歌・李香蘭、演奏・上海交響楽団、指揮・服部良一という豪華なコンサートが開催された。
熱狂した観客がステージに押し寄せるほどの大成功をおさめた『夜来香幻想曲』。
しかし、このステージ上で李香蘭は
「夜来香の香りもやがて消える。今の内に楽しみましょう、その香りを。」
と発言。
情報の多い上海に居た李香蘭は、すでに日本の敗戦が近いこと、日本敗戦後に自分がどんな境遇に陥るかわかっていたのだろう。実際に日本が連合国に降伏したのはわずか二ヶ月後のことだった。
その後
戦後、李香蘭は上海に進駐してきた中華民国軍によって逮捕。"日本の中国支配に協力した売国奴"として銃殺されかかったが、すんでのところで日本人であることが証明され帰国できた。
その後、本名の山口淑子として芸能活動を再開して、日本のみならずハリウッドや香港などでも活躍。第一線を退いたのちには政治家に転身して女性の地位向上や国際親善のために尽くした。現在、御年93歳。近年では上戸彩が主演したテレビドラマ『李香蘭』製作の際など、時たまテレビに顔を出し、相変わらず美しい女優ぶりを見せてくれている。