ジャンボ鶴田のココがスゴイ!
■ジャイアント馬場から直々のスカウト名門中央大学レスリング部に3年次から在籍。オリンピックの日本代表として1972年のミュンヘンオリンピックに出場しました。これらの実績により、ジャイアント馬場から直々にプロレスにスカウトされたのです。
■世界の鶴田として、エースの座を馬場から継承
1983年8月31日、蔵前国技館でブルーザー・ブロディを倒し、インターナショナル・ヘビー級王座を奪取、第14代王者となりました。これは力道山以来の快挙。この試合後、馬場から「今日からお前がエースだ」と労われ、全日本のエースとなったといわれています。
■初代三冠ヘビー級王者
1989年4月、初代三冠(インター・PWF・UN)を統一し、ヘビー級王者に。人気は不動のものとなり、敵地での試合であっても、入場時に「ツルタ、オー!」コールで沸くこともあったそうです。こうして全日本のエースから、日本プロレス界のエースへとさらに成長していきました。
■エースなのに気取らない人柄
リングを降りるとマイペースだったことで有名です。付き人であった三沢光晴も「鶴田さんは自分の好きなテニスやバスケットボールを楽しみながら必要な筋肉を付けていたのだと思う」と述べています。その逸話もさることながら、あの三沢が付き人だったこともすごいことですね。
※ちなみに余談ですが、大のプロレスファンである第95代内閣総理大臣・野田佳彦氏も、ジャンボ鶴田が最強レスラーだと主張する人の1人です。
■墓碑に刻まれた「人生はチャレンジだ!」
座右の銘は「人生はチャレンジだ、チャンスは掴め」。これは師匠であるジャイアント馬場から継承したもので、墓碑に刻まれています。