義務教育は「従業員量産システム」の域を出ない

日本の教育では金持ちになれない

日本の教育では金持ちになれない

子供が7歳になれば、普通は小学校に行かせるでしょう。次は当然中学校、せめて高校までは卒業させたい。親がそう考えるのは自然なことです。あるいは、一流有名大学に進学させるため、あるいは子供の教育環境を守るため、私立の受験校に行かせたいと考える人もいるでしょう。そのためにはお受験が必要だから、子供の学校が終われば塾に行かせる必要があるかもしれません。

しかしこれから、自分の子供が大人になった時代性を考えたとき、本当にその道が適切なのでしょうか。学校に通わせるのはこれからも必要なのか、大学進学にはそれほどの価値があるのか、そもそも、なぜ義務教育・学校教育という枠にはめられなければならないのか、その常識を疑ってみるのが必要な時代に来ているように感じます。

というのも、そもそも学校制度や教育カリキュラムはいったいどこの誰が考えたものかを考えてみると、見えてきます。教育指針や学習指導要領は、文部科学省の役人が作っています。彼らは確かに優秀ですが、果たして彼らは、将来の日本を担う人材育成という視点でカリキュラムを作っているでしょうか。

教科書検定があるのはなぜかというと、価値観を特定の方向に誘導したいからです。たとえば歴史は多様な視点から見るべきですが、日本が不利になるような記述は修正されます。しかも、もっとも重要な現代史が、検証不十分ということで薄っぺらくなります。平安時代や鎌倉時代に詳しくなって、いったいどうするというのでしょう。

生物なども、最新の研究結果が織り込まれることがほとんどなく、無味乾燥なものです。実験も、答えがわかりきっていることを体験させるだけ。たとえばアメリカでは、エイズや喫煙による問題など、日常生活に関連付けて学べるようになっています。どちらが子供が興味深く学ぼう、学びたいと感じるでしょうか。

そもそも大学を出てすぐ官公庁に入り、単一のキャリアしか歩んでいない人に、果たして本当に多様な人材を育てる教育システムやカリキュラムを考えられるでしょうか。確かに高級官僚は、出向や留学などで多様なキャリアを積んでいるように見えますが、「雇われる生き方」「自分ではお金を稼げない生き方」しかしていないという意味では、やはり単一のキャリアに過ぎません。(私の偏見かもしれませんが)

これは個人的な意見ですが、学校の教育は、「従業員量産システム」の域を出ていないように感じます。というのも、学校教育のあらゆるカリキュラムが「受験」に向かっているからです。テストで良い点数を取るため、大学受験に合格するための授業を10年も続けることが、本当に今後の世界を生き抜く基礎になるのだろうか、という疑問があります。

そういうお上が考える教育システムにただ任せる、依存するだけでは、今後起こるであろう、本当のグローバル化、ボーダレス化の時代に対応できる人材につながらないかもしれない。そしてそれが自分の子供だとすると、危機感は募るばかりです。
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