FUKUSHIMA後のRadioactivity
ガイド:soyuz projectとしてKraftwerkの「Radioactivity」のカヴァーをライヴで披露されていますが、これにはFUKUSHIMAのロゴも登場します。このライヴはいつされたものなのでしょうか? 福島の原発事故以降、すぐに作られたものでしょうか?
Radioactivity (YouTube)
福間:
そうです。このライヴは、あの福島第1の爆発から10日後ですね。色々と悩みましたが、これを「とにかくやろう」と決めたのはライヴの2日前でした。映像担当者とは別作業で時間もありませんので、アレンジはせず、「BPMもアレンジもまんま『The MIX』バージョンの構成で作るので、原曲にあわせて映像を作ってくれ」とお願いしました。そしてぶっつけ本番で映像と同期させて出力し、かつUSTもしてもらいました。
僕側は演奏を行うと同時に、Twitterアカウント(@soyuz_bot)フォロワーのTweetをリアルタイムで取得して、音声変換し、楽曲の間奏部などにリアルタイムでミックスしています。(この頃は、余震もまだ続く中、電力不足で停電の恐れもあると言われていましたから、会場の照明も必要最低限であることが、動画からおわかり頂けると思います)
ほぼ即席でしたが、それなりに反響も頂き、今ではやってよかったと思っています。ただ、この曲を演奏することは今後ありませんし、この夜限りでした。
Kraftwerkっぽい?
ガイド:では、『perspective』について。全体的な印象としては、より原点としてのテクノ・スピリットを感じます。オープニングの美しいイントロからロボ声へと続く「Compensation」、反復感の強い「Larus Song」など……分かりやすく言えば、前述のカヴァーでも取り上げたKraftwerk的な雰囲気(Kraftwerkに似ている曲があるわけではありません)。アルバム制作にあたって、原点回帰的意図はあったのでしょうか?
福間:
Kraftwerkっぽいですか? それは嬉しいです。あと作品から感じ取られた「原点回帰的な意図」について考えてみているのですが、おそらく、まぁ、これはどんな人にも言えると思うのですが、やはり3.11以降、あの日から多かれ少なかれ、心理的に何らかの変化がもたらされたのは自明だと思うのです。東京に住んでいる僕でも、生活面では元々出不精だったのが、余計引きこもりになってしまったり、とにかく街に出掛けるのが恐い。また、何らかの表現を楽しむといった場合も、創作ものよりも、ノンフィクション系に近いものしか受け付けなくなっている自分に気が付いたりと。今思えば、そんな無意識下での変化や、日常生活の諸々が今回の自分の表現として「原点としてのテクノ・スピリット」へと繋がっているのかもしれません。ただそのことを、コンセプトとしてことさら強調する気もなく、ごく自然と「僕の今は、こうです」ということが基本にあります。