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【追悼】「大勝軒」ラーメンの神様・山岸一雄さん(3ページ目)

2015年4月1日、東池袋大勝軒の創業者であり、つけ麺の創始者である山岸一雄さんが80歳で亡くなった。今回は、山岸さんを偲んで過去に書いた記事を引用しながら想い出を語らせていただく。

大崎 裕史

執筆者:大崎 裕史

ラーメンガイド

ラーメンの神様―山岸さんの功績

山岸さんの功績はつけ麺を考案したことだけではない。動物系と魚介系を濃厚に合わせる大勝軒の手法は今でも東京の多くの店が参考にしている。それと自家製麺だ。今でこそ、つけ麺ブームで自家製麺が増えたが50年以上も前から自分で麺を作っていたのだからすごい。そして山岸さんは「ラーメンの神様」などと呼ばれることがある。それはつけ麺の考案者であることやラーメン一筋50年以上の人生に対して言ってる場合が多い。しかし、実は物の考え方が非常に達観的であり、悟りの境地に至ってる話がいくつもある。そういう意味でも「神様」なのだと思う。その事例をいくつか紹介したい。

まず有名な話として、お弟子さんにはすべて包み隠さず何もかも教えるということ。店の宝である「味」と「ノウハウ」をすべて伝授してしまうのだ。しかも暖簾代やロイヤリティも一切取らないのだから驚く。ある時、店の売り上げが合わなかったことがあった。普通なら店員を疑い問い詰めるであろう。しかし、そんなことをしないだけでなく、そんな環境を作ってしまった自分を責めたという。そんな時に周りが券売機の設置を提案したら「それではお客さんや店員を信用してないことになるから要らない」と断ったという。

こんなに長い間、行列を作る人気店になっているのに山岸さんはいつも「感謝の気持ち」を口にしている。食べに行って「ごちそうさまでした」と言うと「いつもありがとうね。遠くからどうもね?」と返してくれる。「おいしかったです」と言うとにっこり笑ってくれる。その笑顔を見たいがために通った、と言っても過言ではない。そして新店舗になって山岸さんは厨房に立てなくなった。それでも可能な限り店には出た。冬でも店内ではなく、店頭の椅子に座ってお客さんを歓迎した。行くといつも握手をしてくれた。ゴツゴツした大きな手だが、まさにゴッドハンドである。それでいつも元気と勇気を貰った。

ラーメンは味だけではない。豚ガラ、鶏ガラで作られるラーメンには「人柄」も重要なファクターなのである。そして、山岸さんの人柄こそが半世紀の行列を作り出したのだと思う。

どうして大勝軒はこんなにも愛されたのか?片思いでは、半世紀もの行列が続かない。山岸さんとお客さんは両思い、つまり相思相愛だったのだと思う。山岸さんを愛し、大勝軒を愛するお客さん。そして自分の店に足を運んでくれるお客さんへの愛情とお客さんに出すラーメンへの愛情。一方通行ではなく、双方向だったのだと思う。だからこそ半世紀もの長い間に渡って行列ができたのだろう。

長い間、本当にお疲れ様でした。そしておいしいラーメンをありがとうございました。私は味やノウハウを受け継げないが山岸さんが抱いていた「ラーメン愛」はしっかりと受け継ぎたいと思う。
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