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【追悼】「大勝軒」ラーメンの神様・山岸一雄さん(2ページ目)

2015年4月1日、東池袋大勝軒の創業者であり、つけ麺の創始者である山岸一雄さんが80歳で亡くなった。今回は、山岸さんを偲んで過去に書いた記事を引用しながら想い出を語らせていただく。

大崎 裕史

執筆者:大崎 裕史

ラーメンガイド

私と大勝軒 ―忘れることのない想い出

大勝軒の中華そば、普通盛りでも量がある

大勝軒の中華そば、普通盛りでも量がある

私が初めて大勝軒で食べたのは30年以上前。都内の会社に就職し、営業の仕事でサンシャイン60に来たときだ。当時、もりそばの知識はなかったので、注文したものは中華そば。会津に生まれた私はいわゆる喜多方ラーメンで育っている。なので、「違ったタイプのうまいラーメンもあるんだなぁ?」と感動したことを覚えている。

そして2回目に行ったときにはおいしかった中華そばを大盛りで頼んだ。すると山岸さんは「おにいちゃん、うちのは多いけど大丈夫かい?」と聞いてきた。人より大食いの自信があった私は「大食いなので大丈夫です」と言って大盛りにしてもらった。しかし、自称大食いの私でも食べられなかったのである。それほど大盛りのボリュームは凄かった。こんなにおいしいのを残すなんて、お店の人に大変申し訳ない。でも、食べきれなかった。私は何度も頭を下げて、お店を後にした。しばらく恥ずかしさでお店には行けなかったのだが、おいしさの魅力に負けてまた通うようになっていた。通うと言っても年に数回程度である。もちろんその後、つけ麺の魅力にはまって、3回に2回はつけ麺を食べたものである。

大勝軒の土日は、朝7時くらいから人が集まりだす。大勝軒好きの常連さん達がやってきて酒盛りが始まるのだ。開店までの3-4時間をこうして過ごす。常連さんが朝早くから来るのにはもう一つ理由があった。山岸さんの体力的な問題で仕込みはお弟子さんに任せるようになった。しかし、最初に着席できる16人分(店内は16席)の麺は山岸さんが打つ、という話があった。そうしたことも目的の一つであったのだろう。最初の16人に入るとメニューにはない餃子がスープの中に入っていることもあった。あるいは、チャーシューが一枚多かったりしたことも。「長い間待っていてくれてありがとう」という山岸さんの気持ちなんだと思う。

ある日、私もその16番以内を目指して早めに並び、常連さん達と一緒に酒盛りをしていたときに、こんなことを言われたことがある。「大崎君ねぇ、あなたも大勝軒が好きなんだろうけど、我々は年に50回とか100回食べに来てるのよ。調子の良いときもあれば、いつもと違うときもある。それら、全部を含めて「大勝軒の味」なんだよね。年に数回じゃ大勝軒の本当の味はわからないよ。」確かにその通りだと思った。私の「好き」は、この常連さん達の「好き」には到底及ばないと思った。しかし、それでも言いたい。私も大勝軒がそして山岸さんが好きなんだと。
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