青果市場と電気の街が
ITとアニメ、住むための街へ
電気店の数は少なくなったものの、高架下には小規模な昔ながらの店舗が残る
かつては電気街として知られ、現在はアニメやメイドカフェでも知られる秋葉原は江戸時代以降、様々な変遷を経てきた街です。江戸時代には下級武士が多く居住するとともに、神田川を利用した水運の拠点でもありました。この地が秋葉原と呼ばれるようになったのは、明治2年の大火の後、広大な火除地が作られ、そこに火伏の神と呼ばれる秋葉神社が招聘されて以降。秋葉さまの原っぱだから秋葉原というわけで、漢字での表記は現在と同じですが、当時はあきばのはら、あきばっぱらと呼ばれました。ちなみに当時の神社はその後台東区下谷に移転、秋葉原駅の駅長室に分社が祀られているとか。一度、拝んでみたいものです。
専門店が多く、店の人たちの知識も驚くばかり。それを求めて全国から客が集まる
昭和に入ってからの秋葉原は外神田4丁目にあった神田青果市場と集積し始めた電気部品、ラジオなどを扱う問屋、小売店の街でした。第二次世界大戦の空襲で焼け野原となったものの、昭和24年には連合軍の命令で須田町や小川町界隈にあった電気関係の露店が秋葉原のガード下に移転させられ、これが現在の秋葉原につながります。
街角ではメイドカフェの客引きの女性も多く見かけるようになった
その後、平成元年に神田青果市場が大田市場に移転。その跡地に平成18年に誕生したのが秋葉原クロスフィールド。IT産業の拠点となるべく作られた新しい街です。その前後から秋葉原自体も単に電気製品を売っている街というよりは、ゲームやアニメ、そして新しい文化を生み出す街として認識されるようになってきたように思います。
再開発で駅前には高層ビルが増え、雰囲気が一変した
もうひとつ、大事なのは再開発に伴い、住宅が作られ、「住む場所」としても認識され始めたという点でしょう。といっても、秋葉原駅西側は商業施設その他が建てこみ、新しく住宅エリアとして開発するにはスペースはありません。そのため、以降、住宅開発は駅の東側、台東区と隣接するエリアに向かい、最寄駅は秋葉原としても住所は台東区という物件も少なからず供給されているのが最近の傾向です。
飲食店やスーパーが増加、
意外に公共施設も充実
駅ビルアトレヴィやヨドバシカメラなどの大型店を中心に、これまでの秋葉原になかったカフェや女性向きの店舗なども登場
さて、住む街として秋葉原はどんな街でしょう。以前に比べると道行く人には女性も増えましたが、それでも全体としては男性が多く、特に駅周辺では居酒屋、ラーメン店、ファーストフード店など手頃でボリューム自慢な飲食店が目立ちます。とはいえ、最近は再開発エリアその他の大規模店内に飲食店街ができるなどで、選択肢は増加。少し離れたエリアで、女性好みの飲食店、カフェなどもできつつあります。
生鮮食料品であれば24時まで営業のスーパー、業務スーパーなどが利用できる
生活に必要なスーパーやドラッグストアも多いとは言えないものの、駅西側には少しずつ増えており、自転車利用で買い物に行きかう人も見るようになりました。この辺りは平坦な土地ですし、通り沿い以外は比較的車の往来も少ないので自転車は利用しやすいはずです。
天井の高い雰囲気が独特。インテリア、ファッション関係の店舗が目立つ
また、元々職人さんなども多く、モノ作りの伝統のあった街ということで工房兼ショップのような形態の店舗も目に付くようになっています。代表的な例は秋葉原駅と御徒町駅間の高架下に生まれた2k540 AKI-OKA ARTISANなるスペース。天井の高い、独特の空間を生かし、提案のある店が並んでいます。
このエリアにはクリニックを始め、医療機関も多い。写真右手は三井記念病院
もうひとつ、意外に充実しているのが行政のサービスです。秋葉原の駅を挟んで千代田区側、台東区側のそれぞれに区の児童館や図書館、区民会館、子ども家庭支援センターなどが用意されており、どちらに住むにしても役に立ちそうです。都心ながら、あちこちに小さいながらも公園、寺社があり、緑もあります。
最後に気になる
秋葉原周辺の住宅事情を見て行きましょう。