住みたい街 首都圏/住みたい街の見つけ方

首都圏の商店街はなぜ低地にあるのか(2ページ目)

首都圏の商店街はなぜか、低地にあることが多い。では、なぜ、低地にあるのか。江戸時代から現在までの商店街、暮らしの変遷から考えてみた。

中川 寛子

執筆者:中川 寛子

住みやすい街選び(首都圏)ガイド


昭和初期、暗渠化された河川の上に
商店街が作られた

日出優良商店街

昭和30年代の雰囲気漂う日出優良商店街。売れ残り品が安く買える金物屋さんなどがあり、レトロ

低地に商店街が作られるという傾向はその後も続く。暗渠化した川の上やすぐ脇に商店街が作られる例なども多く、たとえば、昭和9年に暗渠化された谷端川の上には大塚三業地(豊島区)、昭和11年頃に暗渠化された水窪川の上に日出優良商店街(豊島区)、昭和15年に暗渠化された谷田川の上に霜降銀座商店街(北区)……。今の時代、店を出すとなると多額の資本がいるように思うが、当時の商店はその日の商品をその日に仕入れて売る、比較的小資本で始められる商売だった。そのため、できるだけお金のかからない、安い土地に店舗をとなり、低地が選ばれたというのが実情ではなかろうか。

 

霜降銀座商店街

かつては霜降銀座商店街入り口に都電停留所があり、賑わっていた

ところで、下町の商店街のいくつかは現在の交通事情から考えると、駅から微妙に離れており、不思議な気がする。しかし、これは当時、すぐ近くに都電の停留所があったため。たとえば江東区の砂町銀座商店街はどこの駅からも遠く、なぜ、ここに商店街があるのかが不思議だが、かつては商店街を出たところに砂町という停留所があったし、前述の霜降銀座の入り口近くにも同様に停留所があった。交通事情自体が今と違っており、当時は便利な駅前立地(正確に言えば停留所前立地)だったわけである。

 

お屋敷街では
商店街は近くになくても良かった

田園調布駅前

駅を降りると住宅街と商店街が左右に別れる田園調布駅前

では、関東大震災以降に計画的に作られた街ではどうだろう。代表格ともいえる田園調布では商店街は住宅街とは駅を挟んで低地側に配され、住宅街は駅から階段を上がった高台にある。洗足や久が原でも商店街と住宅街は離れて配されている。この時代には利便性よりは環境が重視されたとでもいえばよいのだろうか、今なら便利と喜ばれる駅の近くはうるさく、空気が悪いとあまり歓迎されなかったのである。

 

もうひとつ、昭和の早い時期に住宅を所有していた人たちは、今から考えるとかなり金持ちだったということも言える。年上の知り合いに昭和初期に淡路島から上京、中野坂上にあったお屋敷で女中奉公をしていた人がいるが、彼女の話によると食材の大半は朝やってくる御用聞きに注文、午後に配達してもらうものだったとのこと。自分で買い物に行くなら商店街の位置、距離は大事だが、向こうが聞きに来て、運んでくれるなら、どこにあろうが関係ない。そういう意味ではお屋敷と商店街は近くにある必要がなかったのである。日本で普通の庶民が家を買えるようになったのは戦後になってからだし、働く女性が増え始めたのも歴史的に考えれば最近のことである。それまでは商店街と住宅との関係、距離は今ほど重視されていなかったのである。

 

これは前項で述べた駅から遠い商店街が成り立っていた理由のひとつでもある。多くの人が駅を通過して都心に通う今の時代は商店街は駅前立地が便利だが、職人、商家などが多く、我が家で仕事をする人が多かった時代には駅と商店街が一緒である必要はなかったのである。

 

沖縄タウン

沖縄タウンとも呼ばれる仲通り。県人会館があり、沖縄ソバの店なども並ぶ

ちなみに、現代でも横浜市、川崎市などの工業地帯を抱えた街では商店街は必ずしも駅前にはない。もちろん、横浜、川崎などは一大ターミナルなので駅前にも商店街はあるのだが、駅からはかなり離れた場所にもいくつもの商店街が存在する。それは駅と工場は正反対の方向にあり、工場で働く人には日常的に駅を利用する必要がないからである。そこで商店街はそうした人たちが住んでいるところ、利用するバス路線のバス停近くなどに作られることになる。たとえば、鶴見には沖縄タウンとしてマスコミ的には有名な、実際に行ってみると祭りの時以外はさほど沖縄色は強くない商店街があるが、駅からそこまでは歩いて20分以上。駅とは無縁の立地ということが分かる。

 

関東大震災以降の駅前商店街でも
低地立地が少なくない理由

高円寺の商店街

中央線沿線の商店街を横切るように暗渠化された桃園川はあるものの、商店街自体が低地にあるわけではない

同じ関東大震災以降でも、田園調布ほど計画的に作られていない街では商店街は駅を中心に作られるようになる。分かりやすいのは中央線や小田急線沿線などの商店街だろう。駅近くが最も繁華で、距離が離れるにつれ、次第に住宅が混じり、なんとなく消滅していくような商店街である。駅周辺が平坦な場合には商店街も住宅地とフラットな関係になり、特に商店街が低地に存在することもないが、そうではないケースも多々ある。それが、台地や丘陵地などを通る路線の場合である。

 

大倉山周辺

東急東横線大倉山駅周辺。駅両側が高台になっていることが分かる

京浜東北線が武蔵野台地と東京低地の間の平坦な場所を走っていることは有名だが、鉄道も道路も平坦なところをつないで走るほうが安全である。そのため、鉄道、道路建設では地形に従って、できるだけ高低差の少ないルートが選択される。その結果、東急田園都市線や東急東横線の玉川以遠などのように、線路両側の高台に住宅地が並び、電車は谷底の駅に到着するようなケースが増えるのである。

 

鎌倉山や七里ヶ浜(いずれも鎌倉市)などのように、高台に住宅街を作り、そこに一緒に商店街が作られているような例や住宅街と商店街がフラットなケースもないわけではないが、かなり多くの商店街は低地にある。その理由はこんなところだろうと思う。

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