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子育ての五月病とは?燃え尽きる母たち(3ページ目)

新生活や新学年を走り抜け、ほっとする5月や6月に、ママの心が折れてしまう「子育ての五月病」。何が原因なのか、そしてそのソリューションを考えましょう。

河崎 環

執筆者:河崎 環

子育てガイド

そして、母も五月病にかかる

それは、新入生や新入社員が五月病にかかるのと同じタイミングだ。「こんなはずじゃなかった」のだ。どんなに大人になっても、新しい環境には緊張するのが当たり前。でも、「もう大人なんだから、その辺の要領もわかってるし」と、綿密な情報収集や周到なプランニングで乗り切ろうとし、細かい部分は自分の機転で埋めようとしても、子育ては生き物を相手にしているから、不測の事態は必ず起きる。

不測の事態というのは、文字通り「不測」なのだから、仕方ないのだ。でも、例えば「よりによってこのタイミングで」子どもがキョーレツな下痢をする。気温が高いことに気が緩んで薄着をさせたのがいけなかったのか、こないだ食べさせたアレが悪かったのか、クラスや地域で感染症が流行っていると事前に聞いていたらもっと手洗いを励行していたのに、それともアレルギー?などと、真面目な母は「不測」の事態を「予測」できなかった自己嫌悪の嵐の中で悶々とする。

この悶々は自分を蝕む。それでなくとも普段から周囲に「ごめんなさい」を言って回っているのに、これでまた「ごめんなさい」を言うことになるのが、心苦しい上、悔しくもある。下痢をしている子どもよりも、それを看病する自分よりも、迷惑をかけた周囲に申し訳ない思いでいっぱい。ほら、ここでも自分が置き去りになっている。

自分を拾いにいこう

赤信号が点いたら、それは止まれという意味だ。「気合いで渡れ」ではない。「みんなで渡れば」も、大変にお勧めしない。世の中の母さん達が、みんな自分を置き去りにして疲弊して、そんな犠牲的精神を美徳として集団で突き進んだって、いいことなんか一つもない。上の世代の母たちを見てそう思ったはずだ。「犠牲」を犠牲だと思うことはわがままだと言われた時代、あれは男にとっても女にとっても、特殊な時代の病理だった。

まず立ち止まって、自分の負荷を軽くすべく、そんなに貴重じゃない手荷物を手の空いている誰かに持ってもらって、深呼吸をしよう。そして、少し引き返す。置いて来た自分を拾いに行くのだ。5月、6月、そんな少しの軌道修正で、自分も周囲も不思議なくらいに救われることを経験したら、それを自信にしてまた進める。

そんな小さい経験の積み重ねが母としての自信になるんだよ、結構そんなことの繰り返しでどうにかやって行けるよ大丈夫、と、私はもうあの頃の自分に囁くことができない分、いま苦しいお母さん達に囁いてあげたい。

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