かつては三光町、番衆町だった新宿5丁目
新宿5丁目~7丁目というのは、1978年(昭和53年)にできた、まだ新しい行政区画なのだ。さて、新宿4丁目からだと明治通りを北へ向かう。新宿5丁目東という交差点がある。かつてここは三光町の交差点だった。かつての三光町、番衆町などがあわさってできたのが新宿5丁目である。町の中にはこんな掲示板をよくみかける。また、地域のお祭りなどでも番衆町と書かれたテントが建ったりする。それほど、まだ人々の中には、自分たちの町は番衆町だという意識があるようだ。
東大久保だった新宿6丁目と新宿7丁目
明治通りから新宿文化センターへ抜ける道に現在は日清食品がある。バス停なども日清食品前だが、かつてここは新田裏というバス停があった。新宿6丁目はこの新宿文化センターの周辺だ。新宿5丁目の掲示板で「東一会」と名前がつけられたものがあったが、ここでもそれをみかける。かつてこのあたりは東大久保1丁目だったのだ。そして、職安通りを越えると住居表示が新宿7丁目になる。地元の人にうかがえば、ざっくりいうと、新宿6丁目が東大久保1丁目、新宿7丁目が東大久保2丁目ということになるらしい。厳密には、もう少し複雑だが、とにかくこの一帯は大久保という名前のついていた地域なのだ。新宿といっても広いし、それぞれの町の成り立ちは違うのだ。ちなみに新宿7丁目の最寄り駅は「東新宿」。と、ここで気がついたが、新宿と名前のつく行政区画はまだあった。西新宿や北新宿である。それらはまた今度の機会に散歩してみたい。