自分に合う街をイメージする1 ~下町派?山の手派?」でお話しした街の変遷は、まだ続きます。1960年代以降、高度成長により東京圏へ人口が集中するのに伴い、住宅地は郊外へと拡大していき、アクロス風にいえば第四山の手ゾーンが出現します。

第四山の手ゾーンの代表的な街は中心に所沢、立川・府中・八王子、聖蹟桜ヶ丘・調布・二子玉川・川崎町田・新百合丘・タマプラーザ・つくし野・厚木・藤沢などが挙げられます。私は、ここまで郊外に拡大した地域を山の手としてくくるには、やや無理があるように思いますが、主として東急田園都市沿線を中心とした郊外の新しい住宅地、ベッドタウンです。

製造業の移転により変化する「下町」

そして、このような歴史をたどってきた町も、20世紀が終わり21世紀に突入するあたりから新たな変化が生じています。原因は高齢化・人口減少、高度経済成長の終焉、産業構造の変化などによるものです。顕著なのは、製造業の地方・海外移転に伴い、工業地域として発展してきた新下町から、多くの町工場が消え、その跡地に続々と小・中規模のマンションが建っていることです。

また、湾岸の大工場や倉庫が建ち並びこれまで人が住んでいなかった地域にタワーマンションが林立し、一大新住宅エリアを形成し、さながら形を変えたかつてのニュータウンのようです。工業地域であった新下町は住宅地に変貌し、都心に勤めるホワイトカラーのファミリーや共働きカップルが多数移り住んできています。

そして、これまで便利ではあるけれど不特定多数の人が集まる商業地域は住環境としては今ひとつだとされてきた日本橋などの旧下町も、職住近接を望む都心の金融・サービス業に従事する多忙なビジネスマンや共働きカップルを対象としたマンションの建設が、地価の下落とあいまって増えてきました。

高齢化・少子化で再び縮小する「山の手」 

一方、人口減少・高齢化により、郊外に拡大した新山の手の住宅地などには空家が目立つようになりました。世田谷区ですら、空家は珍しくない昨今です。空家が増えると住環境の悪化が懸念されますが、郊外のなかでもターミナル駅の周辺など人口が集約される地域であれば、ある程度暮らしに必要なインフラは維持されるでしょうし、手ごろな住宅価格や家賃の範囲で家計に無理なく住めるというメリットも生じてきます。

旧山の手は、地価が下落したとはいえ、まだまだ高水準ではありますが、単身、二人世帯の比率の高まりを受け、住戸面積の狭小化による価格圧縮で、それなりの売れ行きを示すマンションも散見されるようになりました。

こうして見ていくと、時の流れとともに拡大してきた街が、再び関東大震災前後の時代へと逆行しつつ限りなく20キロ圏内へと縮小していくイメージができるようになってきませんか。


次のページで、時代とともに変移したいった街のタイプを整理してみましょう。