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【保存版】シャルロット・ペリアンと日本 (1/2)(2ページ目)

【石川尚のWAKUWAKUプレス・レポート】#58 日本は「月よりも遠い国」と語ったフランス人デザイナー:シャルロット・ペリアン。そして日本に魅了され、触発されたペリアン。日本とモダンデザインの結びつきをひも解く保存版の展覧会、全2編でご紹介します。 取材協力:神奈川県立近代美術館

石川 尚

執筆者:石川 尚

ファニチャーガイド


「第一章 日本との出会い 1929-1940」


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展覧会第一章 日本との出会い 1929-1940 展示風景  (c)NAO           ● 画像をクリックすると拡大します。


シャルロット・ペリアンは、1927年のサロン・ドートンヌに出品した「屋根裏のバー」が認められ、24歳でル・コルビュジエのアトリエに入所しました。そこで ル・コルビュジエと ピエール・ジャンヌレとともに手掛けた鉄やアルミニウム、あるいはガラスといった新素材を用いた内装は、「住宅インテリア設備」として、住宅に新風をふきこみました。当時では木製の猫足家具など装飾的なインテリアが当たり前でしたから、とても斬新な考えでした。

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左上:ル・コルビュジエ(左)ペリアン(中) 左下:パリのサン・シュルビス広場のペリアンのアパート 食堂/1928年  右:パリのサン・シュルビス広場のペリアンのアトリエ「屋根裏のバー」のペリアン/1927年   (引用:展覧会図録 p18-19 /鹿島出版会)    ● 画像をクリックすると拡大します


24歳という若さ、大学を卒業して間もない頃、自分のアパートの内装を自分で増改築し「屋根裏のバー」と命名。そこに当時新進気鋭の建築家やデザイナーを招き、ル・コルビュジエに認められた。とても積極的な若い女性だったのでしょうね、ペリアンは。
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展覧会第一章 日本との出会い 1929-1940 展示風景  (c)NAO            
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このコーナーで目を引くのは黒いテーブルトップに真っ赤なレザー。
パリのサン・シュルビス広場のペリアンのアパート 食堂/1928年の再現家具です。製作はイタリアの高級家具ブランド:カッシーナ社……いつもながら、手を抜かない完成度は流石です。

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正面の写真は当時の食堂写真。手前はカッシーナ社で再生産された家具。  (c)NAO                   
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クロムメッキ鋼管のキラビやかな光沢、天板がゴム製の延長テーブル:Table extensible 、赤レザーの肘掛回転椅子:Fauteuil pivotant 、同じくスツール:Tabouret pivotant。まさに近代デザインのルーツ、バウハウスの影響もかなり受けながらのモダニズムデザイン……筆者も学生時代に憧れたデザインスタイルです。
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素材と色とフォルムが美しいですね。  (c)NAO                    
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どのような方法で「延長」するのか?詳細部分を穴のあくほど観察します。特にテーブルの下側から天板裏に施された仕掛けには、ウ~~~ん、、と唸ってしまいます。

さて、
ペリアンが入所したル・コルビュジエのアトリエ、翌年の1928年日本から一人の建築家が入所します。日本近代建築の礎を築いた建築家の一人、前川國男です。また、31年には前川と入れ違いに坂倉準三が入所。以前ご紹介した坂倉準三も日本近代建築の礎を築いた建築家。そして彼らとの出会いがペリアンにとって運命的な日本の出会いとなったのです。

ここからは展覧会 「第二章 日本発見 1940-1946」



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