駅舎、街路、並木が
ここにしかない風景を作っている街
取材に訪れた時期は銀杏並木がきれいな彩りを見せていた
明治の終わり頃から昭和にかけて、首都圏、関西圏ではいくつもの住宅地が計画的に作られていますが、その中でどれが一番有名かといえば、多くの人が渋沢栄一が設立した田園都市会社が開発した田園調布(田園調布3丁目を中心に2丁目、4丁目の一部が大田区、玉川田園調布が世田谷区と2区にまたがっている)を挙げるでしょう。1980年に漫才コンビ星セント・ルイスが「田園調布に家が建つ」というネタで一世を風靡したことでも知られ、お屋敷街といえば田園調布というような時代がありました。
ただ、宅地開発の歴史でみれば実は田園調布に先立ち、関西の阪急沿線や桜新町が開発されていますし、敷地面積でも、もっと広い開発もあります。それなのに、なぜ、田園調布が有名になったのでしょう。
商店街のある東側からこの街の象徴とも言うべき駅舎を望む。実際の駅は広場の左側。駅の上にはスーパーを含め、商業施設が立地
その大きな理由は駅西側に広がる街並みの美しさにあります。田園調布といえば、駅から放射線状に広がる街路とその並木、そして赤い屋根の駅舎が有名ですが、いずれも開発当初に作られた姿のまま。駅舎は平成12年の地下化に伴い、一度取り壊し、復元されたもので、現在は駅舎として使われてはいませんが、住宅街から駅舎を望んだ時の美しさは、ずっと変わっていません、
街を大事にしようという思いが
美しい街作りの原動力
西側のロータリー。駅前の広場にはベンチ、噴水があり、バラなどが植えられている
同様に、駅舎とロータリーの間にある噴水、広場、植栽の手入れの良さも印象的。これは住宅街の中も同様で、枯葉を掃除する人を見かけることはあっても、不法に投棄されたり、ずっと放置されたままのゴミを見ることはほとんどありません。我が街をきれいにする意識の高い人が多い街なのです。
田園調布会は開発時の志を尊重、環境、防災、広報などの活動を行っているそうだ
それを象徴するのが、田園調布会という町内会です。大正15年に設立されたこの会は東急東横線を挟んで田園調布2丁目、3丁目(大田区)にまたがり、住宅地内については敷地面積の最低限度、高さの最高限度などのルールを設定。町会と事前協議のうえで区役所への必要手続きを進めることになっており、街の雰囲気にそぐわない建物は建てられないことになっています。ちなみに世田谷区内にも玉川田園調布会(玉川田園調布1丁目、2丁目)という同様の町内会があります。
地図を見ると、線路を挟んで東西で街の作り方が異なっていることがよく分かる
また、駅西側にはロータリーに面した一部を除き、住宅だけが配され、商店街は東側にのみにありますが、これも住宅街の環境を守るための計画的な配置。現在も住宅街の中には店舗はもちろん、自動販売機を見ることもなく、本当に住むに徹した街づくりが行われ、今に引き継がれていることが分かります。
駅舎のある西側から駅、商店街方向。右側に駅があり、正面に商店街。商店街は線路沿いにも広がっている
もうひとつ、防災面でも、この土地を選んだ渋沢栄一はすごいと思います。田園調布駅西側の住宅街は武蔵野台地の中でも田園調布台という非常に狭い、しかし、古い高台にあり、地盤が強固なのです。前項で商店街は東に、住宅は西にと書きましたが、駅を挟んで東西には高低があり、高いのは住宅のある西側。徹底的に住むための環境が追求されているわけです。
では、次のページで実際の
田園調布の街の様子を見て行きましょう。