明治維新に名を残す偉人が暮らした萩
萩は、明治維新に名を残す多くの偉人が暮らした街としても知られています。長州藩士の子として萩で生まれた吉田松陰(しょういん)は、幕末の激動の中で長州藩の私塾・松下村塾(しょうかそんじゅく)を主宰し、奇兵隊を率いて倒幕運動に一生を捧げた高杉晋作、初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文、第3代内閣総理大臣を務めた山県有朋など数多くの偉人を輩出しました。
吉田松陰自身は、幕末の安政の大獄で亡くなりましたが、明治後期に松下村塾の出身者が中心となって松陰神社を建立。以来、吉田松陰ゆかりの地として、また学問の神様として数多くの人がお詣りに訪れる名所となりました。
松陰神社の境内には、多くの偉人が学んだ松下村塾の建物が改修して保存されており、外から中の様子をうかがえるようになっています。
城下町の中心に近い菊屋横丁の通り沿いには、高杉晋作の誕生地があります。中では高杉晋作にゆかりのある品物などの展示を見ることができます。
また江戸屋横丁沿いには、西郷隆盛、大久保利通の薩摩出身者と共に明治維新を支えた木戸孝允(桂小五郎)の誕生地もありますので、あわせて訪れるといいですね。
萩市内では他にも、松陰神社から歩いたところに伊藤博文の旧宅や、橋本川沿いに山県有朋の旧宅が残っています。
萩は世界遺産の候補になりました
長州藩の拠点であった萩では、幕末になると藩の軍事力を強化するため自前で大砲を作ろうとします。大砲を作るためには金属を溶かすための溶鉱炉が必要になるため、町の西側に反射炉と呼ばれる構造の溶鉱炉を建設したものの、実用化までには至りませんでした。
この反射炉の建物は壊されることなく今もそのまま残ります。幕末当時にいくつか作られた反射炉ですが、その中で現存するのは韮山(にらやま、静岡県)と萩のみなのです。
萩反射炉は、幕末から明治にかけて工業などの近代化が一気に進んだ際の貴重な遺構として評価され、山口県と九州各県が共同で世界遺産登録を提案している「九州・山口の近代化産業遺産群」の構成資産の一つに組み入れられました。2011年時点では、萩の城下町、松下村塾も構成資産の一つに数えられています。
「九州・山口の近代化産業遺産」については、2009年に文化庁の世界遺産暫定リストに掲載されましたので、将来は世界遺産となる可能性があります。萩反射炉跡は町の中心部からは少し離れていますが、時間があればぜひ訪れてみると良いでしょう。
※なお2011年8月末~12月1日まで、萩反射炉跡は見学不可となりますので、注意して下さい。
長州藩の拠点として、明治維新の原動力となる偉人を多く輩出した萩をご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?
萩は陶器の萩焼の産地であり、一部の窯元では萩焼の製作体験も可能な所があります。また温泉も掘り当てられていて、日帰り入浴ができる所もあります。いろいろなことが楽しめる萩の街を歴史を感じつつ、ゆっくり歩きに来てみて下さい。
萩へのアプローチ
萩市内の観光に便利な「萩循環まぁーるバス」
アクセス:
<飛行機>
・山口宇部空港より、宇部市営バスで新山口駅へ。新山口駅より防長バスまたは中国JRバスで萩バスセンターないしは東萩駅へ。
または萩・石見空港より、石見交通バスまたは防長バスの空港連絡バスで、東萩駅ないしは萩バスセンターへ。
<鉄道>
・山陽新幹線 新山口駅より、防長バスまたは中国JRバスで萩バスセンターないしは東萩駅へ。
バスより時間がかかりますが、山口線で益田駅まで行き、山陰線で東萩駅に行く方法もあります。
<高速バス>
・東京駅と山口・萩を結ぶ「萩エクスプレス号」(防長交通バス)が萩バスセンターまで運行します。
<車の場合>
・中国自動車道 山口インターチェンジもしくは山陽自動車道 防府インターチェンジより国道262号線で山口方面へ。いったん国道9号線に入るが、案内に従い再び国道262号線へ進み、県道で萩市内へ。
市内の移動方法:
・萩市内の観光スポットを巡る循環バス「萩循環まぁーるバス」が日中30分間隔で運行しています。
西回りのバス「晋作くん」は萩城址方面、東回りのバス「松陰先生」は松陰神社方面を回るのに便利です。
・松陰神社方面は少し坂がありますが、その他は平坦なのでレンタサイクルを借りて移動することも可能です。
【関連サイト】
- ぶらり萩あるき(萩市観光協会)
- 松陰神社
- 九州・山口の近代化産業遺産群 ※音が出ます
◇「中国(山陽・山陰)の名所」に、「名所・旧跡」ガイドで中国地方の名所・旧跡を紹介した記事の一覧をまとめてあります。