宝塚ファン/宝塚歌劇入門編

小林一三が目を付けた宝塚村(2ページ目)

わずか16名の少女たちから始まった劇団が、今に繋いだ軌跡……。様々な困難に遭いながらも新しいものを求め、100周年を迎えた奇跡……。そこにいつも煌めいていたたくさんの輝石……。宝塚歌劇団100年へのキセキのひとコマをご紹介いたします。Part1「小林一三が目を付けた宝塚村」

桜木 星子

執筆者:桜木 星子

宝塚ファンガイド

“宝塚”と命名された理由とは?

そうして、ある意味無理に作られた「宝塚」 という街や駅ですが、“宝塚”という地名は古くからあったものの、その一体は、小浜村(こはまむら)と呼ばれていました。
やがて1951年(昭和26年)、小浜村から宝塚町に。
そして宝塚歌劇団40周年にあたる1954年(昭和29年)、他の村と合併して宝塚市が成立しました。
宝塚という町は、宝塚歌劇と共に大きく成長していったのです。

もう村でも町でもない宝塚。しかし宝塚ファンの方々、とりわけ関東の方々は、宝塚のことを「ムラ」(村)と呼びます。私が在団している頃すでに使われていたので、かなり昔から言われていたのでしょうね。
「ムラの楽のチケット、取れた!」(宝塚大劇場公演千秋楽のチケット取れた!)
「次の花組、ムラまで遠征しよっかな~」(花組の次回作、宝塚大劇場まで観に行こうかなぁ~)
そこには、ファンの方々の「宝塚歌劇は小さな村から誕生した」という懐古的な愛着を感じますね。

宝塚は「塚」と付いている通り、古墳が多い土地。その中で「宝塚」は、現・米谷にあったそうです。
江戸時代に編修された『摂陽群談』にはこう書かれています。
「宝塚 同郡米谷村にあり。此塚の許に於いて、物を拾う者、必ず幸あり。是を以って、宝塚と号るの所伝たり」(『摂陽群談』)
 
ここで物を拾うと必ず幸せになる……
宝塚……やはり宝塚歌劇にぴったりな地名です。

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