北口に広がるのは
昭和11年に分譲された整然とした街並み
洋風で、どこかかわいらしいときわ台駅北口。南口はビル内にあり、いささか風情には欠ける
洗足や田園調布、成城学園、国立など、今もお屋敷街、学園都市と称される住宅街の多くは大正末期から昭和初期にかけて分譲されたものですが、そのひとつが東武東上線ときわ台(地名は常盤台)。明治30年創業と関東で最も古い歴史を持つ私鉄でありながら、住宅開発においては他社に後れを取っていた東武鉄道が1935年(昭和10年)、満を持して開発に取り組んだのがこの街です。
緩やかにカーブを描く遊歩道。中央には分離帯としてプラタナスの並木が
翌年から始まった宅地分譲のキャッチコピーは「健康住宅地」。分譲価格は周辺に比べ、倍近くしたそうですが、まだ井戸が使われていた時代に水道を敷き、下水は暗渠、敷地内には公園を配し、遊歩道が整備されてと、それは進んだ住宅街でした。
写真中央にある洋館の玄関前、交差点の角が切られているのがお分かりいただけるだろうか
その面影は今も残ります。東武東上線ときわ台駅北口を出ると、目の前には緑の濃い広場があり、その先にはまっすぐ伸びた11m幅の道路。その道路を中心に左右には楕円状の並木道が伸び、道路が交差する部分では隅切り(直角部分をカット、安全に通行できるようにすること)が行われています。
住宅地の中に残されたクルドサック。車はこの円形の植え込みを回りまでしか入って来られず、住宅街の中の安全が保たれるという仕組み
一部にはクルドサック(袋小路。住宅地内に車が入り込まないようにする)も残されてもいますし、敷地内には公園も。そのひとつは現在区立常盤台公園、中央図書館などになっています。
開発当初の面影を残す、板橋区登録有形文化財となっているお宅。相続で土地が分割される例も多い
最近は建替えが進んではいるものの、ところどころに和洋折衷の住宅も残っており、歴史を感じさせてくれます。
歴史ある住宅街周辺には
工場、住宅、商店などが点在
常盤台と前野町の間の通り沿いにはスーパーやマンションが集まっている
では、このエリア以外のときわ台という街はどのような場所でしょうか。まず、北口、ときわ台住宅地周辺を見ていくと、当初開発された常盤台1丁目、2丁目は第一種低層住居専用地域ですが、その周辺は住居専用ではあるものの、中高層エリアとなり、通り沿いには近隣商業地域、そして、前野町に入ると準工業地域がメインに。実際に街を見ても規模の大小はあるものの、工場があり、大規模集合住宅もありというのが北側、やや駅から離れたエリアです。スーパーや大規模店が集まるスポットもあり、生活には便利な場所です。
庶民的な雰囲気の南口、
幹線道路に近く、車の移動にも便利
南口の商店街。一部にはスナックなどが並ぶ飲食店街も
反対側南口側を見ていきましょう。こちらは駅前に飲食店、小さいながらも飲み屋さんの集まった小路があり、かなり庶民的な雰囲気。天祖神社、銭湯などがあり、古くからの街であることは北口同様です。スーパーなどは南北どちらにもあり、日常的な買い物は地元で揃います。
商店街を抜けると川越街道、少し行くと環状七号線との交差に
また、駅から離れると環状七号線、川越街道が走っており、車の移動には便利そう。駅と川越街道間は商店街。駅近くには昔、お屋敷街に仕出しをしていたのであろう魚屋さんや鰻屋さんなどもあり、歴史を実感します。
■取り上げたエリアはこの辺り
記事中に出てきた地名、場所の位置関係を表わす概念図。位置関係、距離その他は正確ではない
北口のクラシカルな住宅街に、その周辺、南口と親しみやすい雰囲気の住宅街、商店街という2つの顔を持つ
東武東上線ときわ台の住宅事情を見ていきましょう。