40代の男性たちが20代前半女性と相性が良い理由

40代の男性たちが20代前半女性と相性が良い理由

たしか、21歳か22歳ぐらいの頃。生意気にも、恋愛に対して確信を持っていたことがあった。

同世代~28歳ぐらいまでの男性は、今の自分の恋愛相手としては物足りない。29歳~34歳ぐらいまでの男性は、自分が良くても相手には遊びの対象として見られちゃうし。35歳以上の男性だったら、やっとひとりの人間として向き合ってもらえるから、今の自分には40代の男性ぐらいが合っているのかも。
 

20代前半女性の恋愛事情は意外と複雑?

書いていて申し訳ないぐらい、二十歳そこそこの女子の確信は生意気だった。でも本当に、子供の頃からマセガキで人より早く社会に出た私にとって、ジャストな恋愛相手を見つけることが簡単ではなかった。

男性の気持ちにもっと鈍感だったら、楽だったのかもしれない。けれど、近づいてくる30歳前後の男性の顔には「あわよくばあなたと遊びたい」と書かれているのが読めてしまって、男性を信じられなくなってしまった時期もあった。必死に「男近寄るなオーラ」を出していたりして。
 

40代の男性たちは20代前半女性と相性が良い

先日、40代のおじさまキラーの女友達からこんなメールが届いた。

「私は自分の恋愛相手をどんどん踏み台にしなきゃつまんないと思ってるの。なんか、性格悪く聞こえるけどそうじゃなくて。年上男性はみんな言うの。俺のこと利用してもっといい女になれって……」

いろんな年代の男性と接していると、年齢によって考えていることや醸し出している雰囲気も違うものだなぁと思うことがある。たとえば、ひとつ気付いたのは、30代の男性にはなくて40代の男性にはあるもの。それが「いい女を育てたい」願望。

特に、社会的ステータスを持っている男性にはこの傾向が強い。欲しいものをすべて買えるようになると次は、いい女を育てたくなる。だから、彼女のように上昇志向が強くて貪欲な女性とは相性が抜群。成長したい&尊敬したい女性と、教えてあげたい&尊敬されたい男性はニーズが合致する。
 

40代の男性は、一線さえ越えなければ20代女性の良きメンター役に

ひとりで抱えて限界まで頑張ってみるのもひとつの成長の仕方ですが、分別付けて頼れるところは頼るというやり方もあります

ひとりで抱えて限界まで頑張ってみるのもひとつの成長の仕方ですが、分別付けて頼れるところは頼るというやり方もあります

これはもう、恋愛相手だけに限らない。私自身も、仕事のことや将来の相談をするのは、同世代の男性より経験が豊かな40代男性だったりする。いわば、父親的存在。父親というとどうしても「パパ」のイメージがあるのだけど、そうではない。

10代後半~20代前半の女性は、びっくりするぐらい繊細で情緒不安定。自分の不安を誰にも打ち明けられなかったりもする。だから、メンタルを支えてくれる人がひとりいるだけでも日々の安定感は違ってくる。ボロボロになった状態でも安心して飛び込んでいける包容力があるのは、やはり40代。いつでも電話に出てくれて「おー、どうした?」なんて、包み込むような愛情をくれる人。

たとえ、同世代の彼がいたとしても父親的存在の男性は必要な枠だと思う。越えてはいけない一線さえ越えなければいいし、寧ろ、男女関係を超越している関係。彼のことだってオープンに話せて、経験が豊富な分、恋愛のアドバイスをもらったりもできる。自分の生活圏内にあることしか書けないけれど、父親的存在の男性と上手に信頼関係を築いている女友達も多い。

「若いんだから、たくさん恋愛して失敗してこい」とか「困ったらいつでも電話しておいで」と言って、後ろから見守ってくれる父親的存在がいるからこそ、果敢に恋愛に挑戦できる。

彼とは接する面も、満たしてくれる愛情の種類も違う。きっとこれは、男にはわからない女の事情なのかもしれない。40代男性に大きな愛情をもらうことで、女の子から女性へと成長させてもらう。名前のつけられない関係だけど、いい女になりたい20代前半女性にとっては、欠かせないメンターなのだ。
 

20代前半で与えられた愛を、与える愛へと繋いでいくためには

与えられてきた愛情に感謝して、次のステップへ!

与えられてきた愛情に感謝して、次のステップへ!

与えられた愛のおかげで大きく広がった愛情の器は、メンターをはじめとした愛情を注いでくれる人がいなくなったら枯渇してしまう。

その器を何で満たすのかが、精神的に自立をしたあとの課題になってくる。

「自分で自分を愛せるようになりなさい」と、どこかで聞いたことのある言葉だけど、まさにそのこと。いちばん良いのは、心から好きな仕事や周囲の人を満たすことで満たされていくことかなぁ、と。

このあいだ「愛される立場より、愛する立場に回ったほうが絶対にいいよね」と、また生意気ながら、女友達と話していた。

一年前なら、友達同士でこんな会話はできなかった。暫く会わないうちに時間が流れ、経験が積み上げられ、お互い、もう十分に愛は与えられたんだと思った。両親や家族や、今まで出逢ってきた大人たちや、歴代の恋人たちから。

愛情の器に満杯になった愛を、これからは人に与えることで巡らせていくようになるんだろう。

「私はあなたのためにこれだけしてあげたのに!」というのは、きっと愛じゃない。本物の「与える愛」は絶対に苦しい。だけど、終わりのないものと向き合っていくことが大事なんだと、今まで愛を与えてくれた人たちの背中が教えてくれるような、そんな気がする。

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