看板の大河ドラマで
問題が起きたのは1974年の大河ドラマ『勝海舟』。主演の渡哲也が肋膜炎の急病になり9話で途中降板し松方弘樹に交代。その件もからんで現場スタッフともめた脚本の倉本聰も降板。混乱する中で松方弘樹も「NHKはモノをつくるところじゃない」と発言するなどかなり大きな問題となりました。
この事件については関係者が原因をいろいろと発言しています。それぞれに見方もありますが、時期も悪かったのでしょう。
外部要因として73年10月に第一次オイルショックがおきて「狂乱物価」とよばれるインフレ状態だったということがあります。そのため、いいものをつくりたいという立場と予算の枠内でなんとかという立場の衝突もあったのでしょう。
ピンチはチャンス
しかしNHKドラマ、危機をバネに大きく変わることで立ち直ります。まず連続テレビ小説(朝ドラ)の放送期間をそれまでの一年から半年に変更しました。一年の長丁場では中だるみしがちだったからです。1975年の『水色の時』から半年の現在と同じ形になります。
スペシャルな土曜ドラマ
続いて、土曜ドラマ枠をスタートします。土曜ドラマは今もありますが、当時は形態が違いました。一話70~90分×三話前後。民放で二時間ドラマ枠も始まっていない当時は毎週スペシャルドラマを放送するぐらいのインパクトがありました。またシリーズタイトルとして「松本清張シリーズ」のように有名小説家だけではなくの「山田太一シリーズ」「向田邦子シリーズ」のように脚本家を前面に押し出したのも特徴。これにより『男たちの旅路』や『阿修羅のごとく』など今も残る名作を生み出しました。
ドラマ人間模様スタート
社会性が強い土曜ドラマに対して「ドラマ人間模様」(初期は「シリーズ人間模様」)こちらは人間を掘り下げることが特徴。こちらは『夢千代日記』『あ・うん』などの名作を輩出します。「大河」「朝ドラ」「土曜ドラマ」、それに「ドラマ人間模様」=火曜放送の「ドラマ10」と考えると現在まで続くNHKドラマの基本パターンがこの時すでに完成しています。
その時ドラマの歴史が動いた
『北の国から』もできなかったかも?
それまでも『うちのホンカン』などTBS系のHBC北海道放送のドラマを書いていて北海道にはなじみがあった倉本聰ですが、この事件がなければ『北の国から』もできなかったもしれません。
その意味でドラマの歴史上、重要な事件だと思います。