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坂上二郎が最期まで明かさなかったコント55号の秘密(3ページ目)

昭和を代表するコメディアン・坂上二郎さんが、3月10日、脳梗塞再発のため亡くなられました。これまでにも多くの追悼記事が掲載されましたが、そこでは語られてれていなかった、コント55号の笑いについて、深く掘り下げてみたいと思います

広川 峯啓

執筆者:広川 峯啓

お笑い・バラエティ番組ガイド


活動休止、そして再会

舞台上で、必死さや懸命さを表に出しながらも、決して張り切っては見えなかった二郎さんが、唯一、張り切ってしまったのが「裏番組をぶっとばせ!」での野球拳でした。この頃から、2人でコントを演じる機会は少なくなり、やがて別々の道を歩むようになります。

その後も、記念番組やイベントの中でコント55号は、幾度となく“再結成”されます。いつしか2人とも楽しんでコントを演じているように見えたのは、当ガイドだけではないのでは。往年の2人が見せた独特の緊張感こそ薄れたものの、和気藹々としたジャレ合いのような楽しさは、観客にも十分伝わっていたはずです。

2003年、人一倍健康に気遣い、誰よりも頑強に見えた二郎さんが、脳梗塞で倒れます。その後の闘病生活における2人の友情は、追悼記事として広く報道されました。

最後の恩返し

リハビリの成果で、定期的に明治座で新春公演を開催してきたコント55号ですが、2人の関係性はさらに変化を見せていました。アドリブを先に繰り出すのが二郎さんになり、それを笑いに変える「コナシ」を欽ちゃんが担当していました。

このアドリブ、晩年の二郎さんが見せたたくまざるユーモアだった可能性もあります。ただ、そんなことは一切関係なく、欽ちゃんは二郎さんの言葉を拾いまくり、満場の観客は一流のコメディとして堪能したのでした。

芝居の中で、二郎さんを「アドリブ性関節炎」と称した欽ちゃん。その突っ込みからは、何とも言えない暖かさが伝わってきました。これまで、55号の世界を表に見せない努力で支えてきた二郎さんに対する、最後の恩返しなんだったんだと、当ガイドは堅く信じています。
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