禅と精進料理の関係

食事

僧侶が修行の際に食べる食事。お粥と漬物など、とてもシンプルです

肉食を禁ずる精進料理は仏教の伝来とともに伝来していましたが、鎌倉時代になり、禅の伝来とともに大きく発達しました。禅では生活すべてが修行と考えられており、その中には料理を作ること、食べることも含まれるからです。

とりわけ曹洞宗を開いた道元禅師は、中国で、禅における食の考え方も学び、「典座教訓」という食に関する本も著しておられます。典座(てんぞ)とは、禅宗寺院における食事を司る役職のこと。食べることは命をつなぐことであり、修行の中でも大きな意味を持つため、典座は単なる炊事係とは違う、重要な役割を担っています。

禅宗のお寺における食事

応量器

食事には、応量器という独特の器が使われます。すべて同じ形の大小で、重ねるとひとつになります

道元禅師の食に関する教えは多岐に渡ります。作る側には、食材を大切に使うこと、食べる人の側に立って気を配ること、手を抜かないことなど、さまざまな心得があります。

いただく側にも、食材と料理を作ってくれた人に感謝すること、自分は修行のために生きており、生きるためにこの食事をいただくのだということを忘れない、したがって、絶対に残さないなどの心得があり、さらには、実際に食べる際の事細かな作法もあります。

わたしも何度かこの作法に従って精進料理をいただいたことがありますが、一般の作法とはかなり違う部分もあり、なかなか一度では覚えきれません。しかし、ひとつひとつの作法には深い意味があり、説明していただけば「なるほど」と理解できます。

たとえば、たくわんを一枚残すこと。食事の最後にこれを使ってすべての食器の汚れを自分で落とすのです。そしてその際に使った白湯をすべて飲み、たくわんも食べてしまいます。これによって、食器を洗う手間が省けます。

そう言えば、わたしのおばあちゃんも、これに似たことをしていました。おばあちゃんは、茶碗に残りがちなご飯粒も、すべて食べていました。お米はわたしたちの命をつなぐ基本であるから、ひと粒たりとも無駄にしてはいけない。昔の人の暮らしの中には、仏教に基づいた習慣が自然に取り入れられていたようです。

現代の食へのアンチテーゼ

作法

食事をいただく際には、こと細かな作法があります

しかし、そうした習慣を知っている人はもう少なくなり、現代の食生活は、それとは対極にあります。日本はグルメ大国になったため、イマドキの食にこだわる人たちは、料理の見栄えをよくするために食材の多くを捨てたり、「あれは不味い、これはよくない」と、食材や料理を作ってくれた人に対する不満を言ったりします。

その一方で、あまり食事を重視せず、コンビ二弁当やファーストフードで済ます人も増えています。親と一緒に食卓を囲むことのない子供も多く、食べ物の大切さや作法を教える人も少なくなりました。

それではいけないと、Shojin-Projectの若い僧侶たちは立ち上がりました。彼らも若い男性なので、学生のころにはファーストフード店に行くこともあったことでしょう。しかし修行を通して食の大切さを学び、日本古来のよき食文化の伝統を、若い世代にも伝える活動を始めたのです。

その活動のひとつが、フリーペーパー「SHOJIN」の発刊です。お寺などでもらうこれまでの仏教関係の冊子は、どちらかと言うと年配の方向けで、必ずしも若い人に身近とは言えませんでしたが、このフリーペーパーは、写真もきれいでレイアウトもなかなかおしゃれ。使われている言葉もわかりやすいです。内容は、「お坊さんによる人と地球に優しい食の提案」で、季節に合わせた簡単な精進料理の作り方や、暮らしに禅の考え方を生かす方法などが書かれています。

ためしに、第1号をダウンロードしてみてください。 

その他の号は、こちらのページの下の方からダウンロードできます。

また、より積極的に広く一般に曹洞宗の食事作法や考え方を伝えるために、「お坊さんの食卓」と称するイベントも予定されています。