発祥は18世紀末から19世紀、
関東大震災がおでんの歴史を変えた

美好のおでん種

後半でご紹介する、清澄白河の美好のおでん種。各店で個性のある商品を作っていることも

元々は冬の味覚だったはずが、今では冷たいタイプまで登場、1年中身近な庶民の味、おでん。ところで、いろいろな街を歩きながら比べてみると、下町や古くから開発された街にはおでん種屋さんという、独立した(?)業種があるのに、昭和の後半以降に開発された街では見かけません。魚をすり潰して練って加工してと手間がかかるわりにはそうそう高く売れるものではありませんし、スーパーなどでも材料は一式手に入ります。そのため、新しく参入するものの少ない業種なのでしょう。

すじ

牛のすじ肉を串に刺したすじ(写真)、鯨を使ったさえずり、コロなどは関西特有のおでんの種

しかし、おでんと東京の街の歴史を重ねてみると面白いことに気づきます。まず、おでんの歴史としては、元々は豆腐を串に差し、味噌を塗って炙ったものであり、それがこんにゃくを串刺しして煮込んだものになり、そのうちに他の材料も煮込んでしまえ!と現在の形になっていったものと言われています。




歌舞伎座

歌舞伎でおでんの屋台が出ていたのはお堀端。ずいぶん昔に歌舞伎座で見たような気がしますが……

しかし「煮込みおでんは、18世紀末から19世紀にかけて生まれたらしい」とされるものの、いつ誕生したかを明確に示す文献は見当たりません(*)。江戸時代の娯楽、落語や歌舞伎でおでんが出てこないかも調べてみたのですが、江戸から明治の劇作家、河竹黙阿弥の、明治期の作品に屋台のおでん屋さんが出てくる程度。おでん屋台の呼び声に「おでん燗酒、甘いと辛い」とあり、煮込みのおでん(甘い)と田楽(辛い)が並存していただろうことが分かります。ちなみに舞台で出てくるのは三角のこんにゃくを串刺しにして煮込んだものです。もし、このあたり、ご存知の方がいらっしゃったら教えてください。





その後、明治以降は茶飯、おでん、燗酒はセットで広く食べられるようになりますが、当時は濃口醤油で煮込んだ品が主流で、そこに味噌やからしなどを付けて食べていたとか。そのおでんのことを関西ではかつての田楽と区別するため、関東炊(かんとだき)と呼び、関西にある私の母方の実家では「『かんとだき』とは真っ黒い醤油で煮た、濃い味付けのもの」とイメージしていたことを覚えています。


日本橋川

江戸はベニスのような水の都だったというが、かつての魚河岸があった、現在の日本橋界隈では川の存在を感じることは少ない。写真は日本橋川からかつての日本橋の道標を見上げたところ

しかし、今、首都圏で供されているおでんは日本橋、神田などの古い店では濃い目、やや甘めの濃口を使った品もありますが、どちらかといえば薄口醤油主体の、薄い色目の汁が目につきます。市販されているおでんの汁なども薄口が多いようです。この変化のきっかけとなったのが大正12年(1923年)に起きた関東大震災。震災以降、関西の料理人が東京に進出、関西の味が普及していくことになり、おでんもまた変化を遂げたというわけです。


江戸でも、昭和でも
おでん種屋さんは魚河岸で創業

神茂

むろまち小路の角にあり、周辺にはいかにも古そうな建物も。百貨店などでも買える

さて、東京のおでん種屋さんで老舗といえば、日本橋むろまち小路に本店のある神茂でしょう。元々は江戸開府の折に紀州から江戸に出て当初は漁業、水産練り製品を作るようになったそうで、創業は元禄元年(1668年)。芭蕉が奥の細道の旅に出る前年です。





むろまち小路入り口

むろまち小路入り口。三越本店の向かい、中央通り沿いにあるのですぐに分かる

創業の地である日本橋室町界隈は江戸時代に魚河岸のあった場所で、そこで手に入る新鮮な魚が材料となったことは言うまでもありません。ただ、おでんの歴史からすると、創業後しばらくはおでん種はなく、はんぺんや蒲鉾が中心だったのではないかと思います。ちなみにむろまち小路は平成18年(2006年)に地元町会・商店会と中央区が協働して完成させた通りで、老舗も多く、散歩には最適。おでん種以外にも魅力的な品がありますから、お出かけの際には買い過ぎにご注意ください。


築地

魚ならなんでも揃う築地。おでん種を扱う店ももちろんある

関東大震災後、魚河岸は築地に移りますが、そこで生まれたおでん種(今はそれだけじゃありませんが)の会社の代表が昭和13年(1938年)創業の紀文。現在、地域差はあるものの、はんぺんといえば白いふわふわの練り製品が一般的とされるのは、この会社の成功の結果と言われており、現在あるようなおでん種がスーパーに進出するのも紀文の製品以降です。

下町にはおでんの匂いが
良く似合う

美好店頭

深川江戸資料館通りにある美好。ご近所の人が次々に買いに来る。ネット上での通販も可

関東大震災以降に関西から東京に来たおでん種屋さんも現存しています。それが住所でいえば江東区三好、最寄り駅でいえば東京メトロ半蔵門線・都営大江戸線清澄白河にある美好です。ホームページによると「創業は大正7年で京都(壬生後に錦)にて蒲鉾を作っておりましたが、その後東京に移り先代の時の昭和23年に(有)美好商店として会社法人となりました」とのこと。






美好のおでん

美好の店頭のお持ち帰り用おでん。昆布30円からすじ110円まで、お手頃さもうれしい

店は深川江戸資料館のある通りにあり、持ち帰り用に店内で煮られているおでんの良い香りがします。店の奥にはすり身を練っている姿が見え、昔ながらの手作りが貫かれていることが分かります。






ギャラリー

深川江戸資料館通りから一歩入ったところにある、元布団工場を改装したというギャラリー

清澄白河は平成16年(2004年)以降マンションの増加に伴って人口増、街並みも大きく変わりましたが、寺社や古い建物、それを改装したギャラリーやしゃれた店舗なども増えており、新旧が入り混じるおもしろい街。特に建物に関心のある方ならおでん以外にも楽しみいっぱいの場所だろうと思います。




吉田屋

砂町銀座商店街にある吉田屋。他にもおでん種だけを売っている店などもある

深川だけでなく、下町ではおでん、おでん種屋さんをよく見かけます。紹介し始めるときりがありませんので、1軒だけ、砂町銀座商店街の吉田屋をご紹介しましょう。ここはお持ち帰りのおでん屋さんで、卵よりも大きいがんもどきや口に入らなさそうなサイズのじゃがいも、大根が安くておいしい下町の味。商店街の中ほどにあります。

大震災後、住宅は郊外へ、
そして、おでん種屋さんも郊外へ

塚田水産食品

子どもの頃馴染みの塚田水産食品。おでん種だけでなく、うなぎ、お惣菜類も売られている

大震災後、住宅は中央線その他、郊外へ向かうようになりますが、それに伴い、おでん種屋さんもそうした郊外に広がっていきます。たとえば、吉祥寺ハモニカ横丁にある塚田水産食品。ここは私が子どもの頃、親たちとバスに乗っておでん種を買いに行った店で、いつも混んでいるのは子どもの頃と変わらず。ちなみに子どもの頃、大好きだったのはここのカレー団子にウインナ巻でした。







吉祥寺の行列

吉祥寺名物(?)小ざさとミートショップサトウの行列。小ざさの場合、早朝から並ぶ人も

また、塚田水産食品の隣には行列店として有名な最中、羊羹の小ざさ、メンチカツのミートショップ サトウが並んでおり、住所を知らなくても行列を探して歩けば、必ず見つかるはず。ただし、両店の行列に並ぶつもりでしたら、時間には十分、十二分に余裕を見て行く必要があります。





小川屋

小川屋のおでん種。地名にちなんだ松蔭ジンジャーは紅生姜入り。ちなみに世田谷区内のおでん種専門店はここだけとか

郊外の住宅街近くにある店で個人的にお勧めは、地元に住んでいる友人にいただいて知った、世田谷線松蔭神社駅近くにある小川屋。店頭を見ていると、おでん種も進化するのだなあとしみじみ思います。ここのおでん種はワサビあるいは生姜醤油でいただくのもお勧め。最近、松蔭神社駅周辺ではカフェやおいしいパン屋さんも増えています。また、東急各沿線にもおでん種屋さんのある街はいくつもあります。



下谷蒲鉾店

街歩きイベント時の光景。13年以上「一時休業」している店もある商店街の中でがんばり続けている

最後は東急沿線のひとつ、私の地元、東急東横線祐天寺駅前の栄通り商店街のある下谷蒲鉾店。そんなに変わった品があるわけでも、ずば抜けておいしいわけでも(もちろん、普通においしい)ありませんが、シャッター通り化しつつある商店街の中で、地道にがんばっていらっしゃいます。その姿が地味だけれど、しみじみおいしい、おでんという食べ物に似ている気がして、個人的には好きな店のひとつ。お近くにおいでの際にはちょっと買いに寄ってみてください。


以上、個人的な好み、おでんと東京の街の歴史、そして「おいしいおでんを食べたい!」という記事でした。

*平成5年(1993年)時事通信社「江戸味覚歳時記」興津要著より引用
※記事内容は執筆時点のものです。最新の内容をご確認ください。