八竹亭のおじさんに活躍してもらうために
「なんとか、この人が働ける場所をつくりたい」--井川さんをそんな気持ちに駆り立てたのが、2010年3月に閉店した定食屋「八竹亭」の名物おじさんこと江尻栄市さん。※蜷川幸雄や木村拓哉も通っていた八竹亭のエピソードについてはこちらをどうぞ。
渋谷で30年続いてきた名店・八竹亭も、全ての飲食店におしなべて「早く・10円でも安く・メニューいろいろ・平等なスマイル」式のサービスを求めようとする時代には必要とされなくなったのでしょうか、ついに閉店を余儀なくされることに。
清潔感あふれる「とんかつマメヒコ」のカウンター。
「定食は種類こそ選べないけれど、味は絶品。だけどおじさんときたら、もう絶対にいらっしゃいませなんか言わなくて、何しに来たんだって顔してるし、お客が何か質問すると、相手によって違う答を適当に言ってる(笑)」
という具合で、何年通っても二人が親しくなることはなかったようです。
それだけに、おじさんとの邂逅は劇的。
「4月のある雨の日、八竹亭のおじさんがマメヒコの前にぽつんと立っていたんです。『行くとこ、なくなっちゃった』と嬉しそうな顔をして」
八竹亭の閉店と同時に、お店と住まいを失った江尻さん。高齢のため新規に家を借りるのも困難な状況だったそうです。
もと「八竹亭(はっちくてい)」店主、江尻栄市さんは新潟県魚沼の生まれ、今年70歳。マメヒコでは「いらっしゃい!」と言って迎えてくれます。
「街から八竹亭のような定食屋さんが消えてしまうことは淋しいな、と思っていました」と井川さん。
「かといって、おじさんにもう一度同じような定食屋さんを開いてもらったとしても、たぶんうまくいかない」
働き続けることを望んでいるおじさんを雇用できたらと、急遽計画されたのがマメヒコPART3だったのです。カウンターの高さを江尻さんの身長に合わせ、設備も江尻さんが作業しやすい配置を第一に考慮して。
めまぐるしく姿を変える街で行き場をなくしてしまった人に舞台を用意して、もう一度活躍してもらおうという心意気、人としてのあたたかさ。
この果敢な挑戦に私は心を揺さぶられましたが、もちろん「次はとんかつ?! マメヒコがどこに行こうとしているのかわかりません!」というとまどいの声が内外からあったそう。
次ページで江尻さんの揚げる、おいしいとんかつ定食をご紹介しましょう。