江戸時代には多摩川、大山道の宿場町、
今は川崎市の交通の要となる立地
溝の口周辺の道路、交通の関係は?
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東急田園都市線と大山道、国道246号が平行に走り、そこをJR南武線が横切る形で街ができている |
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写真右手がJR武蔵溝ノ口駅。2つの駅をつなぐペディストリアンデッキの下はバスターミナル、タクシー乗り場などになっている |
渋谷から東急田園都市線で14分、多摩川を渡って3つ目が溝の口。ここにはJR南武線も乗り入れており(駅名は武蔵溝ノ口)、川崎まで20分ほど、川崎市の交通の要とも言うべき場所です。
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溝の口周辺から多摩川までの大山道周辺には蔵作りの商家なども残されている |
この街は江戸時代から多摩川の宿場として、また、江戸庶民の信仰と娯楽の旅「大山詣」の拠点として栄えてきました。その大山道はかつて静岡のお茶や秦野のタバコ、相模川の鮎などを江戸に運ぶ商業ルートでもあり、そんな由来から、今も大山道沿いには江戸時代、明治時代に開業したという古い商家が残されており、歴史を今に伝えています。
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駅西口から大山道に抜ける西口商店街。八百屋、魚屋などに混じって焼き鳥屋さんなども |
ところが、どういうわけか、戦後はなかなか開発が進まず、ほんの10年ほど前までは駅周辺には終戦直後の闇市の面影が残っていたほど。駅周辺の商店街のうち、駅から大山道へ抜ける溝の口西口商店街には今もその風情が残されています。
1989年には、駅から少し離れた場所に「かながわサイエンスパーク(通称「KSP」)が誕生、一部にはハイテクな街という印象を与えるようになりましたが、街全体が変わり始めるには、まだもう少し時間がかかりました。
ここ10年弱で大変貌
足回りに加えて、何でも揃うショッピングゾーンへ
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地元では溝の口を略して「のくち」と呼ぶことからnocty(ノクティ)と名づけられた2棟の再開発ビル |
変化が始まったのは1997年の再開発ビル、Nocty(ノクティー)の誕生から。2棟からなるこの駅ビルには地元商店街のほか、丸井や市のホールなども入り、駅前の風景を大きく変えました。続く第2弾は98年、JR武蔵溝ノ口の改装、鉄道をまたぐ南北方向の自由通路の完成。こうした開発で、駅周辺の使いやすさはぐんとアップ。この前後から、駅前にはいくつものテナントビルなどが建設され、あっという間に一大ショッピングスポットに変わってきました。
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この日の最安値は貝われ8円!この通り沿いには総合病院も |
とはいえ、大型店以外にも個人の商店ががんばっているのが溝の口の、「らしい」ところ。中央商店街には1山88円、99円と言った商品が並ぶ八百屋さんなどが残っていますし、競争が激しいからでしょうか、商店街を歩くと、物価の安さに驚かされます。
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平日でもバーベキューや凧揚げ、犬の散歩をする人などの姿を見かけないことはない、多摩川河川敷 |
また、この地域では二ヶ領用水の桜並木や点在する公園、多摩川などの自然も魅力。特に多摩川は犬の散歩やジョギング、バーベキューに各種スポーツなども楽しめ、夏には花火大会というお楽しみも。近くに住むのは魅力です。
こうした、数々の魅力を考えれば、住宅地として人気が出ないはずはありません。そのため、駅近くはもちろん、駅から歩いて10分以上離れた場所でもマンション建設が続き、今もあちこちで工事現場を見かけるほどです。
では、気になる住宅の相場はどうなっているか、次ページで見ていきましょう。