東海道、多摩川を擁する交通の要所は
今も変化を続ける街
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現在は砂子通りと呼ばれる道が旧東海道。残念ながら、面影を残す部分はあまり多くない |
多摩川を挟んで東京都と接する川崎市の中心、川崎駅は京浜東北線、東海道線や南武線、京浜急行線などが乗り入れる交通の要所。東海道本線で品川へ9分、東京へ17分という便利さは、意味は違うものの、江戸時代から変わっていません。往時は東海道の、品川に次ぐ、2番目の宿場町で、江戸に入る前の最後の宿泊地として賑わっており、旧東海道近くに風俗街があるのは、その当時の土地利用の名残ともいわれています。また、江戸時代には、川崎大師への参拝客も多く、一大行楽地でもありました。
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臨海部には今も工業地帯が広がるが、ところどころに釣り場を備えた公園なども整備され、イメージは少しずつ変化している |
それが変化し始めたのは明治時代後半から。1906年(明治39年)に明治(横浜)精糖が川崎に初の工場を建設、それ以降、多摩川の水運、二ヶ領用水からの工業用水、臨海部の埋め立て地といった条件に恵まれ、川崎の湾岸エリアは日本の近代化を牽引した京浜工業地帯の中心地となっていきます。
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セメント通りを中心に、30軒ほどの韓国料理店、食材店が点在するコリアンタウン。案内パンフレットなども作られている |
工業化は働く人を多く必要とします。そのため、川崎には日本国内はおろか、朝鮮半島などからも人が集まってきました。川崎市川崎区にコリアンタウン、お隣鶴見にリトル沖縄があるのは、その当時、そうした地域から人々が集まってきた結果なのです。また、手ごろな飲食店が多く、物価が安く、銭湯が多いのも、そうした背景からです。
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シネコン、ライブハウスにショップなどが集まるラ・チッタ・デッラ。頻繁に各種イベントが行われている |
さて、工業地帯、公害、歓楽街といったイメージの強かった川崎駅周辺が次に変化を始めるのは1980年後半から。1987年に日本最初のシネコン、シネチッタが東口に登場、翌1988年にはスタンディングライブハウスの先駆け的存在といわれるクラブチッタ、そして、2002年には、上記2つの施設に加え、ショップ、レストランなどの複合施設が揃うラ・チッタ・デッラが完成。川崎のおしゃれなスポットとして人気を集め、また、日本最大といわれるハロウィンを定着させるなど、独自の文化を発信するようになります。
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本格的なコンサートから、子どものためのイベント、気軽に楽しめるランチコンサートなど、多彩な催しが行われているミューザ川崎 |
さらにイメージを変えたのが、2004年、川崎駅西口にオープンしたミューザ川崎シンフォニーホール。これが、商業ビル、商店街が多く、繁華な東口に比べ、未開発だった西口変貌への第一歩です。そして、その後、大型商業施設ラゾーナ川崎が2006年9月にオープン、同時期に大規模物件も登場。地味な川崎駅周辺のイメージは続々と登場する大規模物件などによって、大きく塗り替えられようとしています。
川崎市がアピールする
知られざる川崎の魅力とは
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音楽、スポーツ、自然に最先端技術など、市は川崎の多彩な顔を売り込みたいと考えている |
こうした変貌は偶然の産物ではありません。川崎市は平成17年に「川崎市シティセールス戦略プラン」を設定、市の7つの基本政策のひとつとして、「個性と魅力が輝くまちづくり」を挙げ、市のイメージアップに取り組んでいます。具体的には、川崎に良いイメージを持つ人の割合を現状の26%から、2014年度には50%に持っていくなどが挙げられており、川崎の魅力の再発見、川崎らしさを活かした魅力、活力の創出なども目標とされています。川崎駅周辺の再開発、イメージアップももちろん、こうした政策の一環なのです。
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市では観光や、テレビ・映画などのロケ誘致などにも力を入れ、川崎のイメージアップを図っている |
その、市がアピールする魅力として挙げられているのは、最先端の研究開発機能を持つ産業都市であり、音楽を中心とする芸術・文化の街であり、自然に恵まれた、スポーツの街でもあるということ。産業面は別として、いずれの要素も、住む人にとって魅力的なものです。具体的な内容については市のホームページ内、
「川崎の魅力」で詳しく語られていますから、そちらをチェックしてください。多摩川や海辺の公園を始めとする意外に豊富な自然、活発でレベルの高いスポーツ活動、音楽や映画などに関する各種設備の充実ぶりなど、知らなかった川崎市を知ることができます。
では、次ページでは子育てや道路事情などを見ていきましょう。