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亀戸、周囲から変化の兆し。天神様のある下町

亀戸天神で知られる総武線亀戸は江戸時代から人気の行楽地であり、今も賑やかな繁華街。江戸、昭和、平成と変化を続けてきたこの街の現在を歩き、住み心地とともに将来の変化について考えてみました。

中川 寛子

執筆者:中川 寛子

住みやすい街選び(首都圏)ガイド

かつて島だった村が
難解地名の街「亀戸(かめいど)」に

地酒
商店街では旧地名にちなんだ日本酒が売られていた。ちなみにかつての亀戸名物といえば亀戸大根
普通に読めば「かめど」。しかし、地名としては亀戸(かめいど)。この不思議な地名には古い歴史があります。亀戸村の鎮守(守り神)、香取神社に伝わる話によると、この地はもともと海に浮かぶ島だったのだとか。その形が亀に似ていたことから、亀島と呼ばれ、次第に島の周囲に土砂が堆積して他の島と陸続きになった頃には亀村に。それが亀戸になったのは、村にあった亀ヶ井という井戸の名まえとごっちゃになったためで、亀井戸と言われていた時期もあったものの、いつの間にか井の字が抜け、現在の亀戸になったのです。この地名の初出は古事記とされており、ここには石器時代、古墳時代の遺跡もあるほどなのです。

竪川
現在、竪川の上には首都高が走っており、川沿いは公園になっている
また、周囲が海だった名残りか、亀戸は今も四方を川に囲まれており、町域がしごくはっきりした街でもあります。北は北十間川(川を渡ると墨田区立花、文花)、南は竪川(川を渡ると江東区大島)、西は墨田区錦糸町との間に横十間川、西は江戸川区平井との境に旧中川があり、川までが亀戸と思えば間違いなし。ただ、現在ではかつての島、川などを意識するほどの高低はなく、全体に平坦な場所になっています。

亀戸天神の藤
亀戸天神の藤は4月から5月上旬が見頃。その他、梅や菊、1月に行われる鷽替えの神事など年中様々な行事、花が楽しめる
その亀戸を有名にしたのは、1662年に創建された亀戸天神。菅原道真の末裔、菅原大鳥居信祐公が九州の太宰府天満宮より勧請し、すべてを大宰府にならって造営したといいます。そのため、学問の神様として有名なのはもちろん、梅に藤、菊と四季折々の花が楽しめることから、江戸時代には一大行楽地に。このエリアには平安末期創建の、植木市の元祖といわれる香取神社や萩寺として江戸期に人気を集めた龍眼寺など、亀戸天神以外の寺社も少なくありませんから、当時としてはかなり繁華なエリアだったはず。現在の駅前の賑わいは往時の門前を中心にした繁栄を今に伝えるものといえるでしょう。

亀戸とその周辺概念図

地図
亀戸と周辺道路、川などとの位置関係。地の利、川に囲まれた立地がよく分かる

下町から工業地帯、
そして都心に近い住宅エリアに

サンストリート
中庭を囲んで50店舗ほどが入るサンストリート。イベントの開催も多く、テレビなどでもよく紹介されている
その後、亀戸は高度経済成長時代に工業地帯へと変わります。現在の亀戸中央公園は日立製作所の、サンストリートは第二精工舎(後のセイコー電子工業。現セイコーインスツル)の、それぞれ工場の跡地といえば、工業エリアだった頃が想像できるかもしれません。が、その後、昭和40年代には工場はより広い敷地を求めて郊外へ移転。跡地は団地や学校、公園に整備され、現在に至っています。

飲食店街
古くからの繁華街だけに細い路地の両側に飲食店が連なる亀戸駅周辺。遊びの場には事欠かない
こうした変遷を知ると、現在の亀戸の姿が理解できます。駅からやや距離のある蔵前橋通りを越えた辺りや、細い路地のあるエリア、亀戸水神近くなどには昔ながらの下町風情が残り、駅周辺の猥雑さも感じられる飲食店、風俗営業などにも同様に江戸からの流れが感じられます。そして、通り沿いの大きな区画にある少し古めの団地や公園は昭和になっての変化でしょう。さらに、ところどころにある新しいマンションは平成築。江戸、昭和そして平成が入り混じった街なのです。

次は亀戸の衣食住事情、住宅価格、そして今後です。

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