横浜市営地下鉄ブルーライン、
京浜急行線の2線に挟まれた下町
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商店街から急な階段を上ったところにある弘明寺の本堂。かつての寺域は今の数倍あったという |
駅名となっている弘明寺(ぐみょうじ)は寺伝によると、721年にインドの善無畏三蔵法師により開かれたといいます。鎌倉時代には源家累代の祈願所とされ、江戸時代には坂東三十三箇所観音霊場の十四番札所として多くの参拝客を集めたといいますから、古くから信仰の中心地だったわけです。
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寺の門前すぐから続くアーケード。かつては周辺に旅館や料亭なども多く、横浜から泊りがけで宴会に来るというような用途でも使われた地だった |
その後、第二次大戦後、当時横浜一の繁華街だった、伊勢佐木町付近は米軍に接収され、他の繁華街も空襲で焼け野原になったため、唯一空襲をまぬがれた弘明寺が横浜の歓楽街・ヤミ市として発展します。当時、弘明寺は横浜市電の終着駅で、かつ、鎌倉方面への市電とバスの乗り換え地だったこともあり、その繁栄ぶりは今とは段違いだったそうです。が、その後、弘明寺のターミナル機能は隣駅上大岡に移ります。また、当時、鎌倉街道沿いにあった横浜国大工学部も移転。現在の弘明寺は以前からすると、やや落ち着いた雰囲気の街になっています。
弘明寺、駅と商店街などの位置関係は?
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弘明寺とその周辺。下線が引いてあるのは町名 |
商店街と大岡川の桜が
街の2大シンボル
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古めかしい作りの店も並ぶ、弘明寺商店街。かんのん通りという別名もある |
その下町っぽい雰囲気を今に残すのが、鎌倉街道沿いにある横浜市営地下鉄ブルーライン弘明寺駅から京浜急行弘明寺駅の間をつなぐ商店街。2駅の間は600mほどあるのですが、その半分がこの商店街で、全長は約312m。1956年に最初にアーケードが架けられたときには東洋一と称えられたそうで、その言葉に歴史を感じます。現在のアーケードはそのときより、やや長く、店舗数は130余。門前町にはかつて参拝土産として愛されてきた和菓子や漬物、日本酒の店が多いものですが、弘明寺も同様。加えて、味噌屋、漬物屋、おでん種屋など古い街ならではの店が並び、価格も手頃で、住みやすそうな雰囲気が漂います。
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地名を冠した清酒。商店街の中にはいかにも老舗といった佇まいの酒屋、和菓子屋なども多い |
また、毎年5月中旬から9月中旬にかけての「3」と「8」の付く日は縁日となっているそうで、多くの露天商が店を開き、いつも以上の混雑ぶりとか。下町風情、和の情緒が好きな人には、楽しい街といえそうです。そうそう、横浜が近いせいか、街中の普通の中華料理店もレベルが高いそうで、中華好きにも楽しい街です。
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桜の並木の両側には散策路を挟んで住宅、マンションが並ぶ |
もうひとつ、この街の名物は商店街の中心を横切って流れる大岡川。上大岡から京急日の出町まで続く、大岡川の両岸には桜が植えられ、大岡川プロムナードと呼ばれる散策に楽しい場所になっているのです。遊歩道が整備されているので、花見を楽しむだけでなく、ジョギングや犬の散歩にも最適なコースです。
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商店街と駅を挟んで反対側にある弘明寺公園。急坂が続く高台にある |
地元で愛されているのが京浜急行の駅の西側にある弘明寺公園。ここは元々は弘明寺の寺領だった土地で周囲からは一段と高くなった場所。上ってみると、横浜中心部が良く見え、ベイブリッジやランドマークタワーもばっちり。知られざる絶景スポットというわけです。
次は気になる弘明寺の住宅事情です。