不妊症/全国の不妊治療の病院・クリニック・治療院

岡本ウーマンズクリニック訪問記(長崎市)

長崎の不妊治療におけるパイオニアである岡本院長先生に取材することができました。新しい技術については、皆さんの治療に役立つお話が満載です。ぜひご覧下さい。

執筆者:池上 文尋

今回は長崎県長崎市の岡本ウーマンズクリニックへ取材に参りました。以前より取材したいなと思っていたところ、ひょんなきっかけでお話をお伺いすることができました。院長先生へのインタビューが進むに連れて、ポンポンと面白いお話を語って頂きました。皆さんの治療に役立つお話が満載です。ぜひご覧下さい。

岡本院長インタビュー

岡本院長
岡本院長です。質問に対し、熱く答えて頂きました。
Q)いつも最初にお伺いするのですが、先生の不妊専門医になられるきっかけを教えて下さい。

A)私は産婦人科病院の末っ子の三男坊として生まれました。父も戦前長崎医科大学の産婦人科講師でしたが、応招し戦地(北支牡丹江)にいたので、原爆に遭いませんでした。代わりに、サンショウウオを使った経皮妊娠判定法(今日のHCG妊娠反応)の研究は失ってしまったと話していました。

産婦人科内分泌学に興味を持ち、1976年に長崎大学医学部を卒業。産婦人科に入局し、当時のRIAホルモン測定に日夜明け暮れておりました。博士論文のテーマが卵巣のホルモン産生でしたので、ヒト卵巣の黄体細胞や顆粒膜細胞を培養している時に、1978年のR.G.Edwardの体外受精・胚移植の成功論文に出会いました。

臨床では、不妊外来でHMG-HCG法による排卵誘発を始め、5つ子ちゃん誕生のニュースのなかで、多胎防止、卵巣過剰刺激症候群回避のため、ホルモン測定と超音波断層によるモニタリングに取り組んだ矢先「体外受精成功」を知り、受精着床学会設立の報に慶応大学北里講堂へはせ参じました。

受付
受付の様子です。美しいフォルムです。
留学して習得したいという一念で、Melbourne Monash大学に留学希望を打診、同封したヒト成熟卵の写真が体外受精チームリーダーA.Trounson博士の目にとまり「来い」の一言で文部省在外若手教官甲種一期生として、八ヶ月、その後Monash大 IVF-Reseach Fellow として計2年2ヶ月体外受精の正規スタッフとして体外受精に取り組みました。

帰国後、長崎大で体外受精ユニットを立ち上げ、すぐさま成功例を出して正常女児誕生にいたりましたが、その後は多くの軋轢に苦しみ、1991年大学講師を辞し開業しました。その後はビル診で10年間、民間での体外受精を確立、2000年に長崎県庁横に体外受精医療センターを配したART岡本ウーマンズクリニックを新築し7年が経ちました。JISARTに加盟し、ISO9001を取得認証も頂きました。日本生殖医学会生殖医療指導医も取得して、不妊専門医の毎日を送っています。

次のページでは、理念や治療方針、こだわりについてお話頂きました。
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