(記事掲載日/2008.6.15)

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大衆社会の成立

大衆社会の成立
大衆社会の成立過程。
大衆社会が欧米で成立するのは20世紀はじめのころと考えられています。日本では第2次世界大戦後ともいわれています。

大衆社会が成立するきっかけの1つは産業革命です。「むら」を中心とする農耕共同体が崩れ、多くの人々が農村からはなれ、都市で労働者として生きていくようになります。こうして都市に巨大な「大衆(mass)」が形成されていったのです。

もう1つの重要なきっかけが普通選挙制度の導入です。普通選挙とは、性別・財産などに関係なく、一定の年齢になれば誰もが選挙権を持てる選挙のことです。これにより大衆は政治の主人公となり、大衆の要求を重視する大衆社会が成立するのです。

大衆社会の成立は、いろいろな国の政治に影響を与えました。例えばイギリスでは、二大政党の1つだった自由党に代わり、大衆を組織して急成長した労働党がその座を占めることになります。

ファシズムも大衆社会と大きな関わりがあると言われています。ヒトラーなどは、大衆からの支持を得た、というよりは、大衆をうまく操作することによって絶大な権力を得たところがあるからです。このあたりは、あとでもう少し説明します。

大衆とはいったい何か?

大衆の定義をするのは難しいことです。

それでも、19世紀の西欧諸国の主人公だった「近代市民」とは違うということは明らかです。近代市民は豊かな財産や教養を持った「エリート」でした。大衆は「非エリート」です。

大衆は「不特定多数」の存在です。連帯意識は少なく、大衆の「顔」を見ることは容易ではありません。しかし同時に、大衆は同じ思考、行動をとるようになります。このような人々のことをリースマンは「孤独な群集」と呼びました。

リースマンはまた、大衆を「他人志向型人間」と定義しています。相互連帯感が薄いなかで、人々は行動基準を他人、外部に求めようとします。このことはマス・メディアの発達によってより顕著になっていき、人々は没個性化していったといわれています。

テレビをはじめとしたマス・メディアの情報に人々は飛びつき、そこに行動基準、思考基準を求めようとするのが「大衆」というわけです。1983年、ビール会社のCMから流行語となった「いかにも一般大衆が喜びそうな……」というフレーズは、メディアが大衆を支配するという社会状況に対するメディア側からの逆説的な批判でもあったのです。

大衆社会の危険性

大衆とメディア・エリート
大衆・メディア・エリートの「危険な関係」。
コーンハウザーは、大衆社会はエリートと非エリートの距離が近いけども、反面、非エリートがエリートに操縦されやすいという点を指摘しています。

実際、ナチスは大衆への宣伝、つまりプロパガンダにより、ヒトラーのカリスマ性を大衆たちに浸透させ、支持を集めることに(いったんは)成功したわけです。そのようなことが第2次世界大戦後はなかったのでしょうか? 大なり小なり、日本をはじめとする先進諸国でも、そのようなことはあったのです。

フロムは『自由からの逃走』のなかで、ナチスに服従した大衆心理のことを「権威主義的性格」と呼びました。この指摘は後にアドルノの深い研究によって実証されていきます。

いずれにせよ、マス・メディアが発達した現代社会において、大衆が受動的立場にいることが多いことは気をつけなければならないことです。大衆社会を乗りこえるためには、積極的に政治や社会問題について自ら考え、情報を収集する「新しい市民」が増えることが重要なことになるでしょう。



※参考書籍・サイト
『政治学事典』 猪口孝・大沢真之・岡沢憲芙・山本吉宜・スティーブン=リード/編 2004 弘文堂
『政治過程論』 伊藤光利・田中愛治・真渕勝 2000 有斐閣
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