(記事掲載/2007.04.30)

毎週日曜日にお送りしている政治用語解説。今週は毎年夏に開催、来年は北海道・洞爺湖で開催が決定している主要国首脳会議・サミットについてとりあげます。

経済問題を話し合うために始まった

83年サミット
1983年、ウィリアムズバーグ・サミットでの各国首脳記念写真。(写真:アメリカ政府サイトより)
サミットというと、テロ対策など政治的なことを話し合っているイメージがありますが、もともとの構想はちょっと違っていました。

1974年の第一次石油危機(オイルショック)によって原油価格が高騰し、各国は激しいインフレーション(または不況と同時進行するスタグフレーション)に見舞われ、世界経済は混乱していました。

日本も同様で、「狂乱物価」とよばれるインフレーションがおこり、インフレ率は年25%に。インフレを静めるための緊縮財政によって、翌年には戦後初のマイナス経済成長を記録するほどでした。

これに対処するため、先進国の首脳が一同に会し、世界経済の難局を乗り切ろうと考えたのが当時のフランス大統領だったジスカールデスタンでした。そして1975年、第1回のサミットがフランスのランブイエで開催されることになります。

以後、サミットは毎年行われることとなり、今日まで至っているわけです。参加国の持ち回りで開催されていて、日本では過去4回開催されています。

サミットの政治化

経済問題会議だったサミットですが、徐々に政治問題も取り扱うようになり、今日では政治問題が主要議題になることも多くなっています。

特に1979年、ソ連がアフガニスタンに侵攻すると、サミットは西側先進国の団結を示す場となり、政治問題を中心に討議することが増えていくようになります。

また冷戦終了後は、民族紛争やテロ、テロ支援国家に関する議題が多くなっていき、サミットは経済会議から、より政治色の濃い会議へと変ぼうしていったのです。

サミット開催国の増加

サミットは当初、提唱国のフランスをはじめとし、アメリカ・イギリス・西ドイツ・イタリア・日本が参加して始まりました。

第2回からカナダが、第3回からEC(現在のEU)委員長が加わり、「G7」サミットとしての開催が定着していきました。

しかし冷戦が終わると、ロシアを参加させるかが大きな問題となりました。もはや西側の「敵」ではなくなったロシア。しかし経済的な力は劣ります。ロシアをどう処遇するか、先進国は悩みます。

サミットでは1991年に旧ソ連のゴルバチョフ大統領を、1994年にロシア(91年はエリツィン大統領を招待、オブザ-バ-的な立場でしばらく参加させていましたが、1996年のデンバーサミットからロシアはサミットに正式参加することができるようになりました。

これにあわせて、「先進国」首脳会議と呼んでいたサミットは、「主要国」首脳会議と呼ぶようになっています。

「田舎での開催」が最近の流れ

2007年のサミットはドイツのハイリゲンダムというところで開かれます。また、2008年のサミットは日本の北海道・洞爺湖で開催されることが決まっています。

このところ、「田舎で開催」することが増えています。これには警備上の問題が大きく関わっています。

90年代終わりごろから、先進国主導の国際政治運営に反対する人々がサミット開催地に終結し、一部は過激な抗議行動をとるようになってきていました。これに対する警備を大都市でやるのはなかなか難しいものがあります。また、大都市ではテロ対策でも万全を期すことができません。

そこで、交通を遮断でき、警備がしやすい田舎で開催されることが多くなっています。特に2001年のイタリア・ジェノバサミットで反サミット市民と警察が衝突、死者が出るようになってからは、この傾向に拍車がかかっています。

もっとも洞爺湖でのサミット開催については、北海道の経済事情に配慮したともいわれています。サミット開催による経済効果を見込んでいるわけですが、最近の田舎による「こじんまり」としたサミットで、どこまで経済効果が上がるかは「?」な部分もあります。

サミット開催地
今までのサミット開催地。赤字は予定地(2007年4月末現在)。

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