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自民党の歴史 角福戦争3・四十日抗争(2ページ目)

角福戦争は田中の盟友大平と福田の闘いとなって激しさを増します。今度は福田が失脚し、反大平闘争に燃えていきます。そして自民党本部にはバリケードがつくられる異常事態に……。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【初めての「党員予備選」と「予備選重視発言」で自滅した福田】
2ページ目 【衆院選の「責任」に端を発した自民分裂の異常事態「四十日抗争」】
3ページ目 【反主流派の「造反」で不信任案可決、史上初のW選圧勝と大平の死】

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【衆院選の「責任」に端を発した自民分裂の異常事態「四十日抗争」】

衆院選の敗北と大平首相責任問題、西村調停

大平は79年秋に衆院解散を断行。しかし、事前の予想に反して自民党は過半数ぎりぎり。原因として大きくあげられるのは、選挙中の大平による一般消費税導入発言といわれます。

福田派は大平退陣を要求。しかし大平は過半数をとった以上必要なしと拒否。大平・福田は数回会談をもちますが決着せず。衆院解散後、憲法上首相指名が義務付けられている特別国会直前になっても、大平退陣問題の決着はなりません。

福田は三木・中曽根と提携して退陣要求をヒートアップ。大平は田中派ながら長老格の西村英一副総裁に調停を依頼。しかしその結果がでないまま、特別国会開会。開会日は異例の首相指名投票なしでの閉会。

西村は福田と会談し、事態の打開に動きますが、反大平・田中に燃える福田は退陣要求を撤回せず。結局、西村調停は失敗します。

反主流派、「よくする会」を作り反大平で結束

数で勝る大平=田中陣営は業を煮やし、両院議員総会での首相候補決定を決断。一部勢力は分裂回避のために「大平の総裁辞任・首相続行」という「総・総分離」を模索しますが、これも不調。

反大平派は福田を首相候補とし、「自民党をよくする会」を結成。両院議員総会が行われるはずの党ホールを椅子で「バリケード封鎖」。ここにでてきたハマコー先生(浜田幸一)。

ハマコー先生、「よくする会」の議員と散々揉めた挙句、「もうこうなったら許さねえ」と啖呵(たんか)を切ってバリケードを実力で「解除」。

自民党から2人の首相候補が出る異常事態に

結局、大平=田中派などは議員総会で大平を首相候補に指名。一方「よくする会」は別の会合で福田を首相候補に決定。自民党は完全に分裂状態になってしまいます。

結局、特別国会召集から1週間すぎてようやく首相指名選挙が実施されます。自民党から大平と福田が立候補する異例の事態に。

衆議院の第1回投票では大平135票、福田125票でいずれも過半数に達せず。30分休憩中もおそらく激しい工作が行われたことでしょう。決選投票では大平138票、福田121票、野党はおおむね棄権。これで大平政権の続投が決まりました。

ちなみに新自由クラブの一部は大平に投じています。また、民社党は「あえて棄権」したとも考えられています。このあたりの真相はわかりませんが、民社党が福田に投票する可能性も、なくはなかったようです。

しかし、民社党は棄権。田中派がどれだけ野党に対しても威力を発揮したのでしょうか。この田中派の「野党工作」は、のちに竹下派にも受け継がれることになるのです……。

世はすでにテレビ時代。このごたごたをまさに「目の当たりにした」国民は、自民党に対し大きく失望。保革伯仲(与野党の拮抗状態)が続く中、大平は多難な第2次内閣を発足させたのでした。

そしてここまでの、つまり総選挙→首相退陣要求→分裂指名投票までのごたごたがだいたい40日だったので、「四十日抗争」というわけです。

抗争のあとの大平・党内融和政策

しかし大平は、「党内修復」を考えました。自民分裂だけは避けたい。結局、福田派からは田中派、大平派と同じ4名が入閣。政調会長に福田派のプリンスと呼ばれた安倍晋太郎(安倍晋三氏の父)を配置。

もう、大平には「衆院解散」の手は使えません。前回から1年もたっていないうえに、この「四十日抗争」による国民の「自民党離れ」で敗北必至。そして翌年80年にはまたも総裁選が控えています。

表面上、派閥抗争は「休戦」したものの、各派は予備選のために党員獲得に必死に(自分たちを有利にするため)。このとき大量の自民党員が入党することになります。

総裁選を控えた大平政権を襲う「苦難」

そして迎えた80年、大平には苦難が続きます。

まず、反主流の福田・三木・中曽根派に、台頭著しかった中川一郎のグループなどが加わり自民党刷新連盟(刷新連)が発足。またまた自民党分裂の危機を迎えます。

おりしも政府関連をめぐる事件・疑惑が頻発。なかでも痛かったのは、やはりハマコー先生のやんちゃで起こったラスベガス賭博事件(浜田議員が過去、ロッキード事件の被告小佐野賢治から、ラスベガスでまけた4億円(!)のうちの一部を負担してもらったという疑惑。浜田議員は議員辞職(のち当選して復活))でした。

ハマコー先生の証人喚問を求める反主流派と主流派の対立により、大平政権はさらに大きくぐらつき始めていきます。そして前代未聞の「ハプニング解散」を迎えることになるのです。

◎総選挙責任をめぐり激化した、国民不在の「四十日抗争」


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