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自民党の歴史 岸「逆コース」の挫折(3ページ目)

自民党の歴史2回目は岸信介を焦点に当ててお話します。鳩山を事実上後継者岸の日米安保の改定という政策は現在に至るの日本外交路線の基礎となるわけですが、その安保改定はなぜ大混乱を引き起こしたのでしょう。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【鳩山が始め、岸がより洗練しようとした「逆コース」政策とは】
2ページ目 【岸の理念と構想、しかしその実現への障害となる、重いレッテル】
3ページ目 【「保守反動」に対する大衆の疑念を読み切れなかった岸の誤算】

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【「保守反動」に対する大衆の疑念を読み切れなかった岸の誤算】

「警職法改正」の誤算と岸の最初のつまずき

1958年秋、岸内閣は突如、警察官権限の大幅強化を規定した「警職法改正法案」を臨時国会に提出します。

この法案は戦前のいわゆる「オイコラ警官」(居丈高で人権を無視する高圧的な警官のこと)を思わせるもので、国民の激しい反発を招きます。そして、これをバックに社会党が激しく抵抗。会期末を迎えます。

そこで自民党は、予鈴(開会10分前にならすべき鐘)をならさず、本鈴(開会時間にならす鐘)だけをもって急きょ本会議を開催、社会党議員が間に合わないまま会期延長を決定。

これでOKという岸の読みは甘過ぎました。世論が激しく反発、総評(連合の前身である日本最大の労組組織)はストに突入、デモ隊は国会前を包囲する状況に。結局、自民党は警職法改正の審議未了廃案を了承。岸の威信はここで大きく傷付きました。

政権譲渡の「密約」、河野派の「切り捨て」、池田派との和解

しかも、自民党内の反岸派もこれに乗じて反岸運動を展開。岸は窮地に追い込まれます。岸は実弟佐藤とともに「手をついて」大野と河野に協力を依頼。岸は安保改定後、ただちに大野に政権を譲る「密約」を大野・河野とのあいだに結びます。

こうして岸は総裁再選をなんとか果たしますが、しかし59年、参院選での勝利を契機に内閣改造に踏み切り、岸は反主流派だった池田の入閣に踏み切ります。党内融和のためでしたが、これは池田と仲の悪い河野の離反を招くことになります。

結局、河野のもとには右翼の大物・児玉誉士夫(よしお)が、池田のもとには佐藤の若き側近・田中角栄が説得に。結局池田は入閣、河野は執行部から外れることになりました。

このような党内的にも多難な状況のもと、岸は安保改正を行わなければならなかったのです。

そして強行策の末に「実現」した「日米安保改正」

難航していた安保改正は日米政府により60年初旬締結。岸の考えだった「日米共同防衛」が明文化され、「事前協議制」も別途盛り込まれました。

しかし、「日米共同防衛」は「日本を再び戦争に引き込むものだ」という反発がふたたび国民から起こり、条約承認権をもつ国会審議も紛糾します。岸は、5月、急遽会期延長と安保承認を強行採決します。

それは異様なもので、まず本会議の予鈴が鳴る中、いきなり安保特別委員会開会、騒然とする中で強行採決されます。

○小澤委員長 休憩前に……(発言する者、離席する者多く、議場騒然、聴取不能)……。(委員会採決の際の正式議事録)

その後の本会議ですぐ採決する構えの自民党に対し、社会党が採決無効を訴え、議員たちが議長室前を占拠し開会を阻止しようとします。警官隊が導入され議員らは排除。結局自民党のみの単独採決。三木派・石橋派・河野派ら26名の自民党議員も欠席。国会をデモ隊3万人が包囲。

しかし、とりあえず衆院通過により、条約に対する衆議院優越という憲法上の規定によって、6月19日までには、参院で審議がなくても自動承認となることが決定しました。

「安保闘争」と岸退陣~自民党は再び「吉田学校」政権へ

国会内外は騒然とします。国会外では労組・学生による激しい反対闘争。いわゆる「安保闘争」で、特に6月15日の闘争では警官隊との衝突で女子大学生が死亡するという惨事に発展。

国会内では、社会党よりも自民党内部が紛糾。三木・石橋・河野の反主流3派は「議会政治擁護連盟」の結成を決定。事実上の反岸、岸退陣要求宣言でした。

しかし、岸は前々からの政治日程であった「批准のときにアイゼンハウアー・アメリカ大統領を招待」することにこだわります。演出効果を狙ったのだと思われますが、いかんせん状況は悪化。大統領訪日は取り止めに。

威信をすっかりなくした岸は、もはや退陣やむなし、に追い込まれました。せめて批准までは自分でやりたい、と彼はその日まで首相官邸にい続けます。

自動承認まで残りわずか、6月18日深夜、首相官邸には岸と佐藤のみ。外は騒然。警視総監自ら官邸からの避難を促しますが、死に場所が官邸なら感無量と勧告を拒絶。そして数時間後、官邸で自動承認の瞬間を迎えた2人。

23日、厳重な警備のもと批准書交換。その日のうちに岸は退陣を表明。翌月の公選で池田が当選。ここに、鳩山・岸の保守回帰路線、俗にいう「逆コース」路線は挫折し、吉田茂のもとを離れた権力は、まわりまわって「吉田学校」の優等生、池田のもとに帰ってきたのでした。

そして池田自民党は、舵を政治行為から経済政策へと大きく転換。高度成長時代に対応した自民党へと変ぼうすることになるのでした。

「自民党の歴史(2)岸「逆コース」の挫折」についての参考書籍・資料はこちらをごらんください。

▼こちらもご参照下さい。
大人のための教科書 政治の超基礎講座

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◎3万人が埋め尽くした国会前、何を思ったか岸・佐藤兄弟


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