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ドイツ政治の基礎2005年(3ページ目)

シュレーダー首相の解散によって実施されたドイツ連邦議会選挙。こちらは日本と違って大接戦になりました。この際、ドイツ政治の基礎を学んで、新聞やニュースをみる参考にしてみましょう。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【ドイツの独特な連邦制と議院内閣制とは?】
2ページ目 【ドイツの選挙制度と主要な政党って?】
3ページ目 【ドイツ連邦の歴史、そして現在の状況は?】

【ドイツ連邦の歴史、そして現在の状況は?】

世界でもっとも有名な環境政党 緑の党

正確には1993年から「90年連合/緑の党」という名称になっています。環境政党としては世界でもっとも有名な政党でしょう。

1980年の連邦議会選ではじめて国政選挙にのりだし、83年選挙で5%条項をクリアして議席を獲得しました。しかし、ドイツ再統一を目前にした1990年選挙ではコール政権人気の前に手も足も出ず、5%条項もクリアできず議席を失いました。

しかし、旧東ドイツで作られていた環境政党「90年同盟」(こちらは90年選挙で議席獲得)と合同し、再び息を吹き返します。その後はFDPの議席を上回ることもしばしばとなり、1998年、SPDとのいわゆる「赤緑連合」で連立政権入りを果たしました。

シュレーダー政権の外相は、「90年同盟/緑の党」議員団長であるフィッシャーが就任しています。

旧東ドイツの遺産か、それとも東住民の代弁者か 左翼党(PDS)

五大政党のうち、唯一連邦で政権に参加していない(2005年8月現在)のがこの左翼党、PDSです(もっとも今年までは人民社会党と名乗っていました)。

ただ、PDSの前身は、社会主義体制下の旧東ドイツ(ドイツ人民共和国)における共産党にあたる社会主義統一党(SED)。そのため、共産独裁国家だった旧東ドイツの「負のイメージ」をこの党に見る人も多いようです。

しかし、旧東ドイツでなかなか進まない経済再建への不満を、PDSが吸収する形で徐々に議席を伸ばしています。2002年選挙では5%条項のクリアに失敗しますが、その後、SDPからPDSに入る議員もいたりして、勢力を伸ばしてきました。

その最たる人物が、なんとSPDの党首だったラフォンティーヌだったりするのですが(彼は、シュレーダーSPD政権による旧ユーゴへのNATO空爆に猛反対した人物でもあり)、今回2005年選挙では大きく議席を伸ばしました。

ただ、SPDもCSUも、旧共産党であるところのPDSとの連立には及び腰で、政権に参加できる日がくるのか、くるとしたら近いのか遠いのかは、不透明です。

現代ドイツ政治のあゆみ(1)アデナウアー長期政権

さて、ドイツ連邦共和国の歴史をふりかえっておきましょう。

ドイツは第2次世界大戦で連合国に降伏、その後アメリカ・イギリス・フランス・ソ連が国土と首都ベルリンを4分割占領します。

しかし、ソ連占領地域では共産化が進行。一触即発の危機を経ながら、残る西側10州で連邦共和国が発足、選挙によってCDU/CSUのアデナウアーが、FDPなどとの連立政権を60年代初めまで維持します。

この間、アデナウアーは連邦の西側陣営入りを進め、NATO加盟を実現。宿願の「独仏和解」を実現するなど、欧州統合の足がかりも築きます。

現代ドイツ政治のあゆみ(2)「大連立」からSDP政権へ

アデナウアーが高齢で「勇退」したあと、財政通のエアハルトがそのあとを継ぎます。彼のもとで50年代のドイツ経済はめざましい復興を遂げていました。

しかし、エアハルト時代、それは曲がり角を迎え、ドイツは不況に突入、混乱の中、FDPの連立離脱、連邦参議院による予算否決で、エアハルトは辞任に追い込まれます。

その後、CDU/CSUとSPDという二大政党による、議席占有率90%という「大連立」政権が発足します。このとき連邦首相になったのが「元ナチ党員」だったキージンガーだったのは物議をかもしましたが、これでSPDは初めて政権に参加することになります。

そして69年選挙で、SPDは第2党ながら、FDPとの連立工作に成功。この枠組みでブラント・シュミットの2政権が80年代まで続くことになります。

現代ドイツ政治のあゆみ(3)ドイツ再統一とコール超長期政権

ブラント・シュミット両連邦首相は、独自の「東方外交」を展開して東欧との和解をすすめ、東西ドイツの同時国連加盟などを実現します。

しかし、そのなかで勢いを増してきたSPDの左派勢力に不快感を示したFDPは、折からの不況とSPDがとろうとする社会主義的対処に反発して連立を離脱します。

ほどなく、CDU/CSUのコールが後継連邦首相に選出、政権は再びCDU/CSUとFDPの連立政権となります。

コールは実に16年間連邦首相の座に君臨しました。その原動力はなんといっても「ドイツ再統一への功績」でしょう。「ベルリンの壁」崩壊後、再統一を警戒する各国をなんとか丸く収めて、早期再統一を実現しました。

しかし、東西ドイツ統一は多くのコストをともない、経済は悪化しました。コール政権も長すぎ、国民は変化を求めていました。こうして98年選挙でSPDが第1党となり、コールは退陣しました。

現代ドイツ政治のあゆみ(4)「赤緑」か「ジャマイカ」か

SPDのシュレーダー連邦首相は初めて「90年連合/緑の党」と「赤緑連合」を組み、政権を担当します。

シュレーダー政権はイギリス首相ブレア流の「第3の道」路線を歩もうとします。しかし、当初はまずまずだった景気は2000年以降急速に悪化、失業率も上昇一途(およそ12%、失業者数500万人、統一以後最悪)、そして政府債務残高も増える一方で、国民からの支持を失っていきました。

しかし、シュレーダー政権による政策には好意的な評価もあり(原発撤廃政策の開始、同姓婚法の制定など)、彼は「信任決議否決→解散総選挙」という賭けにでたのでした。

選挙結果はCDU/CSUが第1党の座を取り返したものの、SDPとの差は予想に反してわずか3議席。CSUは残りのFDP、「90年同盟・緑の党」と「ジャマイカ連立」(3党のシンボルカラーがジャマイカの国旗の色なのにちなんで)を組むか。

それともSPDと、あるいは他の2党も加えた「大連立」を組むか、あるいはSDPがFDPを寝返らせて政権を維持するか……かなりきわどいことになっています。

シュレーダー首相も、CDU/CSUのメンケル党首も勝利宣言をする事態に。はたして、連邦首相の座を射止めるのは誰なのでしょうか?

「ドイツ政治の基礎2005年版」についての参考書籍・資料はこちらをごらんください。

▼こちらもご参照下さい。
大人のための教科書 政治の超基礎講座

動画で学ぶ 政治経済基礎講座

「政治の基礎知識・基礎用語」 政治の基礎的な知識はこちらでチェック!

◎歴代のドイツ連邦首相


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