かつてあった女子プロリーグ、全米女子プロ野球リーグ
野球は日本人にとって最大の娯楽の1つだ |
第2次世界大戦当時は、アメリカでも男性は徴兵の対象になっていたため、メジャーリーガーたちも次々と徴兵されて戦場に送られていきました。そのためにメジャーリーグも存亡の危機に陥り、徴兵されていない女性によるプロ野球リーグを設立する構想が浮かび上がってきました。そうして1943年に始まったのが、全米女子プロ野球リーグ(AAGPBL)です。
選手はソフトボールの経験者を中心にして集められ、1943年には4チームでリーグがスタート。シーズンはメジャーリーグや日本のプロ野球のようにペナントレース形式で行われ、その年は各球団がそれぞれ108試合を行いました。
その後は、1944年に6チーム、46年に8チーム、48年には10チームとチーム数も拡大し、1949年には1年間の観客動員数が約91万人と、全米女子プロ野球リーグのピークに達しました。
戦後の衰退、そして廃止へ
しかしこの頃になると、第2次大戦終了(1945年)後に続々とメジャーリーガーが復帰してきたため、メジャーリーグもかつてのように賑わってきました。また最初はソフトボールに近かったルールを、だんだんと野球に近づけていったために、選手集めが難しくなっていきます。1949年には早くもチーム数が8に減り、その後も少しずつ減りつつリーグの経営陣が入れ替わるなど、不安定な状態が続くことに。そして1954年にはチーム数も5になり、この年が全米女子プロ野球リーグの最後の年となります。
しかし女子プロ野球リーグが12年間活動していたという歴史は残り、1992年には全米女子プロ野球リーグをテーマにした映画『プリティ・リーグ』が公開。さらに、当時の選手達が集まって親睦を深める同窓会も随時開催されています。
アメリカでは12年で終わった女子プロ野球リーグですが、日本ではどこまで続くのか楽しみではありますね。
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