(2005.03.25)

アメリカの冷戦政策を形作った「封じこめ政策」の生みの親、といわれる偉大な外交官であり政治学者であるジョージ・ケナン氏が、今月17日に死去しました。ケナン氏の外交哲学は今に通じる意義深いものがあります。御本人に教えていただきましょう。(?)

1ページ目 【ケナン先生の冷徹正確なソ連分析が封じ込め政策の基盤に】
2ページ目 【経済的手段を重視して成功した封じ込め政策】
3ページ目 【ケナン先生の目から見た冷戦とイラク戦争とは】

【ケナン先生の冷徹正確なソ連分析が封じ込め政策の基盤に】

ケナン先生を霊界から呼んでみよう!

とにかく、私はやってしまった。あの、日本で一番有名な猫型ロボットが、六本木の某テレビ局で、新しい声優と打ち合わせにやってくるという情報を聞いて、そこに向かった。

そして、猫型ロボットを拉致し、2つの道具を4次元ポケットから強奪して、彼を解放した。さっそく、私はその1つ、「死んだ人よみがえり機」を使って、ケナン先生をよんでみることにした。

さっそく、ケナン先生が現れた。

「This is where?. Didn't I climb heavens by the thought of God? It says not wanting to already see the stupid policy of a bush etc......」

あー先生、ユーザーの皆さんがわけわからないのでこれ食べて下さい。「自動こんにゃく」これ食べれば日本語で話せますから。

「・・・なんだこの中途半端な食べ物は。ここは日本か。君は私を何の用で呼び出した? 私は101歳も生きたんだ。早く天に召されて、落ち着きたいのだ。」

ごめんなさい。いろいろ聞きたいことがありまして。先生はアメリカにおけるロシア政治研究のパイオニアでもあるんですよね。

「左様。ロシア語はペラペラだ。ロシアだけじゃないぞ。ラトビアやエストニアでも住んでたぞ。ワイフはノルウェー人だ。ベルリンにいたからドイツ語も話せる。多くの文化を知ることはとても大事なことだ。ブッシュはそれを理解しとらん・・・」

ケナン先生のソ連分析~「ロング・テレグラム」

はいはい。で、1933年、ルーズベルト大統領がソビエト連邦を承認して、ソ連に行くことになったんですよね。

「モスクワ大使館の立ち上げからやったからな。結局3回行った。通算約7年だな。あそこは、共産党政権さえなければ、なかなかいい国だったぞ。」

で、最後の赴任中の1946年、第2次大戦が終わって米ソの連合がぎくしゃくし始めたころ、有名な「ロング・テレグラム」という電報をアメリカ政府に送ったんでした。どんな内容だったのですか?

「まずは、スターリンもヒトラーなみの独裁者だが、ヒトラーのような誇大妄想の持ち主ではない、ということだな。スターリンはしたたかなやつだ。戦争ではなく、じわじわと共産主義を拡大させていこうとしていたのだ。

だから、大きな障害にぶつかれば、大きなリスクを冒してまで突進してくる相手ではない、と報告したのだ。

2つめは、ソ連の政権構造自体、強固なものでもなく、まだ実験段階で、内部はまだそれほど固まっているわけではないというものだ。だから、内部崩壊を招くような過激なマネはせんだろうと、私は読んでいたのだ。

そして、ソ連勢力はまだ伸びつつある段階で、勢力が伸びつつあった東欧でも国民に共産主義が浸透しているわけでもなく、いわんや西欧は、団結して共産主義に立ち向かえば大丈夫、ただし急いで、適正なことをしなくてはならない、と報告したのだ。」

へえ~。でも今、ソ連が崩壊してから見えてきた事実と照らすと、すごい正確な読みですね。で、この報告がワシントンに大きな影響を与えるわけですね。

「結果的にそうなる。だから私が『冷戦の生みの親』とかいわれるわけだ。なんか悪魔みたいに。すごくイヤだったぞ。それなのに101歳も神は私を生かすなんて・・・。」

ケナン先生は「封じこめ政策」の生みの親

まあまあ先生。で、47年に国務省に戻って、いわゆる「封じ込め政策」立案の中心人物になるわけですね。

「『封じ込め』以外の言葉が見つかればよかった。あれは誤解を招いたなあ。しかし、ソ連勢力の拡大が急ピッチで進んでいたので、『封じ込め』るしかなかったわけだ。そうしていなければ、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。」

取り返しのつかないこととは?

「米ソの全面戦争だよ。それだけは避けなくてはならなかったのだ。」

なるほど。では、その封じこめ政策がどのようなものだったのか、ちょっと先生待って下さいね、次のページからお話して下さい。