2ページ目 【竹島が韓国に占拠されるなか、実現した日韓国交正常化】
3ページ目 【今現在の韓国で巻き起こる「反日」の背景にある事情】
【竹島が韓国に占拠されるなか、実現した日韓国交正常化】
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問題をややこしくしたGHQ覚書の存在
さて、1945年9月から日本を占領することになった連合国軍総指令部(GHQ)ですが、ここが1946年、こんな文書を出します。それは「GHQ覚書第677号」というもので、日本の竹島における政治・行政上の権限行使を暫定的に停止する、というものでした。これが韓国政府の竹島領有の根拠になっているようです。連合国によって竹島は日本から切り離されたのだから、日本領ではない。ということです。
しかし、問題は3点。
・だからといって、韓国に「政治・行政上」の権限が渡されたとは書いていない。
・そもそも「政治・行政」権と主権は別。沖縄も、「政治・行政権=施政権」はアメリカに渡されたが、主権は日本にあるとされていた。
・一方的な通達で、当事国日本の同意がない。国際法としての効力があるとみるのは難しい。
李承晩ラインと竹島の韓国による「占拠」
1951年に調印され、翌年発効した太平洋戦争の講和条約であるサンフランシスコ平和条約には、こうあります。サンフランシスコ平和条約 第2条(a)
日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
これをみると、竹島(独島)は入ってませんから、竹島は日本領として残った、と素直に解釈することができます。
もっともこの条約には、韓国は参加していません。それもそのはずで、韓国は日本の植民地で、戦争していたわけではないわけですから。
さて、そんななか、韓国の初代大統領李承晩(イ・イスマン)は、1952年、一方的に韓国領海を決めてしまいます。これが「李承晩ライン」とよばれるもので、このライン内に竹島がすっぽり入ってしまい、韓国が公式に初めて「竹島は韓国領」と主張することになったのです。
日本は当然抗議し、領有権を改めて主張しますが、韓国は応じず、1954年には竹島に警察官を送り(警察官といっても海上保安隊ぐらいの装備はあるようですが)竹島を占拠します。日本は竹島問題を国際司法裁判所で争うよう主張しますが、韓国は拒否しました。
竹島の韓国による占有状態は、今も続いています。日本領だと思って近づくと、逮捕されてしまいます。
経済発展のため日韓国交正常化を急いだ朴正煕政権
さて、こんな日韓関係でしたが、冷戦のさなか、アメリカが暗に早期の日韓の国交正常化をするように促したこともあって、日韓交渉が行われるようになりました。しかし、竹島問題やら賠償問題やらでなかなか難航します。ちなみに、本論じゃないんですけど、賠償問題についていうと、韓国と日本は戦争したわけではないから賠償金は払えないというのが日本の立場。で、それじゃ日本が韓国から奪った財産を返還することにしようとしたら、実は日本が韓国に与えていた方が多かった。
日本の植民地経営は赤字だったのですね。ちなみに、経営的には利益ないし、朝鮮人から恨み買うしで、朝鮮支配なんかいい事まるでないと戦前に喝破していたのが後の首相・石橋湛山で、改めて彼の慧眼(けいがん)はすごいと思ったりします。
ま、でもなんとか韓国は日本から資金を引き出さないと、国民が黙っていない。落としどころをどこにするかで、交渉は膠着(こうちゃく)するのです。
さて、この間に、韓国では政変が相次ぎ、1961年、クーデターにより朴正煕(パク・チョンヒ)が政権を握ります(大統領就任は1963年)。
朴正煕は、政治的には民主化勢力を締め付け、弾圧しながら、経済5カ年計画などを策定し、経済を向上させることに努めようとします。
そのため、日韓交渉では、とりあえず竹島問題は置いておき、どれだけ日本から金を引き出せるかに絞って、早期妥結を狙って交渉しました。
その結果、
・日本は有償、無償の援助を韓国に行う。韓国は日本に賠償請求をしない。
・日本政府は「不幸な歴史」に「遺憾の意」を示す(椎名外相がコメントした。)。
・李承晩ラインは、廃止する。沿岸から12カイリまでの線を、両国の漁業水域とする。
などということで両国がまとまり、これをベースに「日韓基本条約」が1965年、締結され、日韓の国交は正常化されたのです。
この基本条約で、竹島はどうなったのでしょう。次のページでみていきます。
(↓最初、島根県を鳥取県と書いておりました。お詫びの上訂正いたします。)