2ページ目 【国会が立法機関であることが骨抜きにされてしまっている? 国会の意義とは】
3ページ目 【国会は「国権の最高機関」であるという憲法条文の解釈でも論争が】
【国会は「国権の最高機関」であるという憲法条文の解釈でも論争が】
41条は「政治的美称」説
憲法41条の「国会は国権の最高機関」という表現について、憲法学界では、いろいろ議論もあるのですが、有力な学説は「これは政治的美称である」というものです。つまり、日本国憲法のもとでは、内閣は国会を解散できる。国会の作った法律を、最高裁判所は違憲立法審査をして憲法違反なら(適用を)無効にすることができる。もちろん国会も内閣を不信任したり、裁判官を弾劾することができますが。
このように、国会・内閣・裁判所がたがいにチェック・アンド・バランスをとる「三権分立」を日本国憲法はとっているわけであって、どれが優位という関係ではない。
ただし、国会は唯一、国民の代表が集まっている場であり、これは尊重しなくてはならない。憲法前文にも、「権力は国民の代表者がこれを行使し」とある。だから、国会は国権の最高機関と表現したのである。
しかし、「国会は主権者でも統治権の総攬(そうらん)者でもなく・・・国会が最高の決定権ないし国政全般を統括する権能を持った機関であるというように、法的意味に解することはできない」(芦部信喜著『憲法』岩波書店より、中略は筆者による)わけであって、「国権の最高機関」という言葉に政治上の意味はない。
これが、憲法学界の多数を占める「政治的美称説」の概要です。
政治的美称説は官僚優位政治の源泉か?
これに対し、異を唱える人々が、憲法学界とは別のところ、政治学者や、政治家からあがってきています。つまり、国会が国権の最高機関であるという表現は政治的美称であり、実際は三権分立だよ、といっているのは官僚たちに「国会は官僚のやることに手出しをするな」という理屈の論拠になってしまっている。
しかし、主権者は憲法上国民であり、その代表があつまった国会こそが真に国民を代表した唯一の機関であり、国会が国権の最高機関であるというのは当たり前である。
官僚の手から国民の手に「主権」を真の意味でゆずりわたすためには、「政治的美称説」ではなく、真の意味で国会が最高機関であると、読み直す必要があるのだ。
この意見、法律家ではない「アマチュア」からすると、一理も二理もあると思ってしまいます。国会はたしかに唯一の主権者(国民)の代表の集まりですからね、実質的に最高機関であってもなんら不思議ではないように思えます。
ただ、憲法を精査していくと、これはこれで問題があるらしい。司法権の独立はどうなる。三権分立原理はどうなる。などと。難しいもんです。
いずれにしても、日本は「国会中心主義」
ただ、政治的美称説をとるか、とらないか、いずれにしても、国会を中心に日本の政治システムがまわっていることはまちがいないことです(国会中心主義)。さきほどから何度もいっている通り、国会は唯一、国民の代表が集まっている場です。ですから、国会が内閣総理大臣を指名し、不正のあった裁判官を弾劾してやめさせるなど、国会には強い権限が与えられているわけです。
それに、最初のほうでも述べた通り、法規の中心である法律を作ることは「唯一の立法機関」として国会が独占している。国会が機能しないと政治システムがまわらないしくみに、憲法上はなっているのです。
ですから、われわれ国民は、きちんとした代表を国会に送りだし、きちんと立法能力がある人、きちんと他の権力(内閣・裁判所)を監視できる人、そんな人で国会を埋め尽くさなくてはならないのですね。
それができるのは、もちろん主権者である国民だけであることを、忘れてはいけません。
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